大阪・関西万博カナダ館代表ローリー・ピーターズさんインタビュー「カナダの誇りを日本の人たちに示せた」

カナダ館のローリー・ピーターズ政府代表。2025年10月7日、大阪市。撮影 三島直美/日加トゥデイ
カナダ館のローリー・ピーターズ政府代表。2025年10月7日、大阪市。撮影 三島直美/日加トゥデイ

 大阪湾の人工島・夢洲(ゆめしま、大阪市此花区)で4月13日に開幕した大阪・関西万博が10月13日に幕を閉じた。カナダ政府はカナダパビリオン(カナダ館)を出展。「再生」をコンセプトとして拡張現実(AR)を通じてカナダの魅力を発信した。

 閉幕まであと1週間となった10月7日にカナダ館で政府代表ローリー・ピーターズさんに話を聞いた。

カナダ館への来場者の反応について

カナダ館の前にある大きな「CANADA」の前で記念撮影。2025年10月7日、大阪市。撮影 三島直美/日加トゥデイ
カナダ館の前にある大きな「CANADA」の前で記念撮影。2025年10月7日、大阪市。撮影 三島直美/日加トゥデイ

 「私はこのプロジェクトをこれまで2年半から3年にわたって率いてきた代表ですので、少し偏った見方になるかもしれません。でも、万博の終わりというのは振り返りの時期です。そして、実際に全てが終わった後にはさらに深く振り返ることになるでしょう。というのも、今はまだ真っ只中で、毎日何千人もの来場者を迎えているだけでなく、6カ月間にわたる非常に忙しいスケジュールのプログラムやイベントをまだ終えていないからです。

 この万博がいかに成功したか、そしてカナダがこの万博でいかに成功したかを示す良い例や実例がたくさんあります。パートナーへのインタビューや来場者へのアンケート、さらにはいくつかの賞の受賞を通じて、カナダにとってこの万博がどれほど成果のあるものだったかを裏付けることができました。

 1970年(大阪万博)は大阪や日本にとってだけでなく、カナダにとっても大きな節目でした。というのも、カナダは1967年のモントリオール万博で世界を驚かせたばかりで、1970年の大阪万博では非常に目立つ場所とスペースを与えられました。カナダへの期待と関心は非常に高く、それに応えることができました。1970年には、ソ連(現ロシア)に次いで2番目に多く訪問されたパビリオンとなり、当時のカナダの人口を上回る来場者数だったと理解しています。

 しかし、それはカナダの象徴的なイメージ以上のものを発見することが目的でした。そしてそれは、私がカナダ館で役割を担った2005年の愛知万博でも目指したことです。その後も、1985年のつくば、沖縄、そして今回の2025年と、いくつかの専門万博で比較対象があり、一般的に言ってカナダは常に人気のあるパビリオンの一つです。人々はカナダを好み、カナダと日本の関係は常に人と人とのつながりに基づいて築かれてきました。

 カナダで学んだことがある人、住んだことがある人、ワーキングホリデーで滞在した人など、カナダと再びつながりたいと思っている人も多くいます。そしてそれは、2025年の今回にも当てはまります。来場者のレビューは非常に好意的です。

 拡張現実を通じたカナダ横断の詩的な旅に感動していただいていますし、テクノロジーや「ミステリーハンター」の体験にも同様に感銘を受けていただいています。そして、現地でホスティングスタッフとして活躍するカナダ人との交流にも感動されています。

出口手前の秋のカナダと赤毛のアン。2025年10月7日、大阪市。撮影 三島直美/日加トゥデイ
出口手前の秋のカナダと赤毛のアン。2025年10月7日、大阪市。撮影 三島直美/日加トゥデイ

 さらに、プーティンショップでカナダの味を少し体験することも新鮮でおもしろく、多くの人を引きつけています。そして、来場者のフィードバックでは、他のパビリオンとの比較や対比を通じて、カナダを訪れてみたい、再訪したい、カナダで学びたい、あるいはカナダについてもっと前向きに、もっと現代的な視点で考えてみたいというインスピレーションを受けたという声が多く寄せられています。カナダの象徴的なイメージだけではない、新たな視点での関心が生まれています」

カナダから政府関係者も多く来場、カナダと日本をつなぐ場として

 「万博はグローバルなプラットフォームですが、近年では来場者のほとんどが開催国からの方々で、今回も92%以上が日本からの来場者だと聞いています。ですから、パビリオンやプログラムを設計する際には、例えばドバイ(万博)のように多様な通過者が訪れる場所よりも、日本での開催の方が少しやりやすい面があります。ドバイでは人口構成が非常に多様で、設計の難易度も異なります。今回の万博は、日加の2国間関係を強化し、カナダと日本のつながりを再確認することが主な目的ですが、同時にインド太平洋地域、つまり近隣地域におけるカナダの存在を広げるという視点も取り入れています。

 カナダのインド太平洋戦略をご存じかもしれませんが、この万博はその戦略の初期段階における象徴的な取り組みとして位置づけられています。ですから、今回の参加は日本の来場者、日本の関係者、日本企業、日本政府関係者とのつながりを築くことが中心であり、カナダの各州や準州もこの機会を活用したいと考えていました。このプロジェクトはカナダ外務省(Global Affairs Canada)と、国際貿易担当大臣および外務大臣の管轄のもとで推進されています。

パビリオン外側にあるステージ。多くのイベントがここで開催された。2025年10月7日、大阪市。撮影 三島直美/日加トゥデイ
パビリオン外側にあるステージ。多くのイベントがここで開催された。2025年10月7日、大阪市。撮影 三島直美/日加トゥデイ

 私たちはこのプロジェクトを企画し、舞台を整えました。東京のカナダ大使館とも密接に連携し、彼らの優先事項が私たちの優先事項にもなるよう調整しました。いわば「テーブルを整え」、各州や準州、さらには姉妹都市などがこの空間を活用し、ネットワーク、交流や新たなパートナーシップ、友情の芽生えを促進できるようにしたのです。BC(ブリティッシュ・コロンビア)州のイービー州首相が率いる代表団は「BCウィーク」と呼ばれる1週間を担当し、イベントやアクティビティを展開しました。毎朝「太平洋を越えた健康体操」として、BC版ラジオ体操を行い、BC産ブルーベリースムージーも提供しました。また、地下のコラボレーションスペースでは重要なビジネス交流や会合も行われました。

 パビリオンでは、来場者にすばらしい体験を提供することはもちろんですが、同時に会議やビジネス、コラボレーションのための空間も設けており、学校や大学の学生グループ、各州・準州のビジネス代表団を招いています。

 産業界からも参加があり、エア・カナダは関係者向けのイベントを開催し、カナダのビーフ業界、ポーク業界や農業省もこの6カ月間のプラットフォームを活用しています。つまり、今回の万博は、人と人との交流やパブリック・ディプロマシー(公共外交)だけでなく、経済外交やカナダの豊かな地域的多様性の発信という側面も兼ね備えた取り組みとなっています。

 6カ月間にわたって開催されるという点で、期間・規模・スコープの面で世界に類を見ないイベントです。まさに「国家ブランディングの最高峰のプラットフォーム」とされており、一部では「国家ブランディングのオリンピック」と呼ばれることもあります。それほどまでに、各国が自国の魅力を発信する場として重要視されているのです」

カナダのテーマ、ジェンダー平等、多様性も再現

 「今回の万博の全体的なテーマは、持続可能な開発目標(SDGs)に焦点を当てています。というのも、2030年まであと5年しかなく、2030年は国連が定めたSDGsの達成期限だからです。そこで、「未来の持続可能な社会のデザイン」がテーマに選ばれました。そして、サブテーマとして「Saving Lives(いのちを救う)」「Empowering Lives(いのちに力を与える)」「Connecting Lives(いのちをつなぐ)」の3つが設定され、夢洲の万博会場もそれぞれのサブテーマに対応する3つのゾーンに分けられています。カナダ館は、「Empowering Lives(いのちに力を与える)」ゾーンに位置しており、フランス語訳では「inspiring lives(いのちを鼓舞する)」となっています。

 各参加国には、どのSDGsに焦点を当てるかを示すよう求められ、また、万博のテーマを反映する独自のテーマを設定するよう求められました。私たちは1970年の大阪万博を振り返り、当時のテーマ「発見(Discover Canada)」を思い出しました。最初は「再発見(Rediscovery)」も考えましたが、十分に意味があるとは感じられず、日本語・英語・フランス語のいずれにも通じる言葉を探した結果、「再生(Saisei)」というテーマにたどり着きました。

 「再生」には多層的な意味があり、たとえばVCRの「再生」のように1970年やそれ以前への巻き戻しという意味もありますし、再誕・再構築という意味もあります。私たちは過去から学び、それを土台にしながら、次世代を鼓舞することに焦点を当てたいと考えました。つまり、前の世代から何を学び、次の世代に何を託すか。SDGsの達成は、まさに次世代の手に委ねられているのです。

 そして、カナダの強みとは何かを考えたとき、多様性と創造性は間違いなくその一つです。社会的イノベーションや、世界を映し出す力もまたカナダの強みです。もちろん完璧ではなく、進行中の取り組みではありますが、特に現在のように包摂性や多様性が世界的に試されている時代において、カナダがそれをどれほどうまく実践しているかを示す絶好の機会となりました。

 ジェンダー平等もまた、私たちが強く打ち出したい価値の一つです。私自身がコミッショナー・ジェネラル(代表)を務めていることも注目される点です。万博のコミッショナー・ジェネラル(CG)やパビリオンのディレクターに女性が就任する例は増えてきていますが、まだ十分ではありません。今回、女性の建築家が設計を担当し、日本の施工チームも女性が中心となっていました。現場の施工管理者やプロジェクトマネージャーも女性で、クリエイティブチームには女性や先住民のアドバイザーも加わっています。文化プログラムでは、出演者の半数以上が女性であり、料理チームもジェンダーバランスが取れていて、(カナダの)全国の調理学校から集まっています。これらは全て、カナダがジェンダー平等と多様性を体現する社会であることを意図的に示すための取り組みです。

カナダ館の前にある大きな「CANADA」の前で記念撮影。2025年10月7日、大阪市。撮影 三島直美/日加トゥデイ

 この多様性の考え方は、時にさりげない形で表れますが、先週末のパフォーマンスはまさにその好例でした。130人以上のアーティストがカナダ全国から集まり、音楽やダンスのパフォーマンスを披露しました。

 その中で、ケリー・バド(Kelly Bado)というアーティストが出演しました。彼女はコートジボワール出身で、現在はマニトバ州ウィニペグに住んでいます。彼女のバンドメンバー2人は、フランス語を話すメティス(先住民)です。彼女たちは英語とフランス語で歌い、観客は「彼女はコートジボワール出身と言っているけれど、ここはカナダ館だ」と思いながら、肌の色を忘れてただ音楽を楽しんでいました。それはまさに「これがカナダだ」と感じさせるすばらしい実例でした。

 展示でも、地域の多様性が表現されています。州ごとではなく、地域ごとに構成されており、それぞれが融合しながらも独自の特徴を持っています。文化的な多様性も重要なメッセージですし、LGBTQ+への支援も示しています。カナダ国旗と並んでプライド旗を掲げ、「真実と和解」の旗も掲げました。

 先住民週間も設け、北海道のアイヌコミュニティ、ニュージーランドのマオリ、オーストラリアの先住民と連携しました。カナダがこの万博で高い人気と注目を集めているからこそ、私たちの強みを共有する絶好の機会となったのです」

最も印象に残っていることは?

 「印象的な出来事が毎日のようにあって、どれもすばらしいです。

 例えば昨日(10月6日)は2つのイベントがありました。一つはケベック州と関西・大阪の企業とのランチミーティングでした。6月にケベック州と大阪との間で覚書(MOU)を締結したのですが、通常、万博はビジネス契約の場ではありません。でも、パートナーシップの可能性を示すには絶好の機会です。今回は実際にそのMOUを実現させる場を設けることができました。MOUはただの署名で終わってしまうこともありますが、私たちはそれを「MODo(行動に移す覚書)」にしたかったんです。

 そして昨日、わずか3カ月でその第一歩となる交流が実現しました。企業同士が集まり、協業の可能性について話し合いました。ランチは若手の料理チームがケベック産の食材を使って準備し、日本でも購入できる商品を紹介しました。

 料理やワインの魅力も発信しました。昨日はBC州のオカナガン産ワインも提供しました。人と人をつなぐ場になったと思います。

 午後には、日本のパートナーとの連携を模索する活動もありました。会場には9つのテーマ館があり、そのひとつが河瀨直美監督の館(https://expo2025-inochinoakashi.com/)です。彼女はカンヌのパルムドール受賞監督で、「なら国際映画祭」のディレクターでもあります。以前から若手映画作家の育成プログラムについて話していて、私たちも若者の支援を重視しているので「何か一緒にやりましょう」と提案しました。そして昨日の午後、準備期間はほとんどなかったのですが、万博最終週に、地下の会議室で3本の映画を上映しました。一般の方やホスティングスタッフが参加し、「再生」の力を別の形で体感する機会となりました。

 そして、私にとってのハイライトは、万博開幕前日の4月12日です。開幕前に約70人のカナダ人と日本人が集まりました。1970年の大阪万博や1985年のつくば万博でホスティングスタッフを務めた方々です。実際の元スタッフは38〜39人で、家族や孫も同行していました。40年ぶりに再会する方もいて、感動的でした。

 東京のカナダ大使イアン・マッケイも、つくば万博の元ホスティングスタッフです。今回のホスティングスタッフプログラムのコーディネーターは、1985年当時の彼の同僚でした。この再会は2年半かけて準備されたもので、1970年のカナダ館の日本人スタッフも数人参加しました。

 ただの同窓会ではなく、新しいホスティングスタッフへの知識の継承の場でもありました。翌日から6カ月間の来場者対応に備える彼らに向けて、ティータイムを設けて交流しました。涙あり、音楽あり、笑いありの時間で、「再生」の象徴のような瞬間でした。

 他にも、カナダのナショナルデーも印象深いです。全国からアーティストを招き、伝統的なパンケーキ・ブレックファストを開催しました。あいにくの雨でしたが、私は「雨女」なんです(笑)、正午には晴れて、フェイスペインティングや音楽、パンケーキなど、カナダらしいお祝いムードに包まれました。

 各国がパレードを行うのですが、カナダはホスティングスタッフや運転手、清掃スタッフが旗を持って音楽に合わせて歌いながら行進しました。派手ではないけれど、楽しくて、誰でも参加できるカナダらしいパレードでした。

カナダ館から見る大屋根リング。2025年10月7日、大阪市。撮影 三島直美/日加トゥデイ
カナダ館から見る大屋根リング。2025年10月7日、大阪市。撮影 三島直美/日加トゥデイ

 本当に、挙げきれないほどの思い出があります。日本での反応も非常に好意的で、来場者の皆さんに喜んでいただけてうれしいです。カナダからの来場者も予想以上に多く、特に開幕当初は驚きましたが、その後も続いています。

 通常、万博では自国民が最も厳しい批評家になるものですが、今回は「自分の国がこんなにすばらしく表現されている」と誇りに思ってくれる方ばかりでした。展示やプレゼンテーションに自分自身を重ねて見ていて、技術や創造性、多面的な表現に感動していました。

 このプロジェクトに関わったカナダの市民や納税者の皆さんが「自分たちがきちんと代表されている」と感じてくれたことが、私たちにとって何よりもうれしいことです。本当に、素晴らしい経験でした」

日本で開催された万博全てに参加してきたカナダ

 カナダが初めて日本の万博に参加したのは1970年に開催されたアジア初の万博「大阪万博」。「発見(Discovery)」をテーマにしたカナダ館の入場者数は2500万人以上で、当時のカナダの人口を超えていたという。最も人気のパビリオンの一つとして人々の記憶に刻まれている。

 その後も1975年沖縄国際海洋博(沖縄県)、1985年科学万博つくば(茨木県)、1990年大阪国際花と緑の博覧会(大阪府)、2005年愛・地球博(愛知県)に参加。地球博では約300万人が来館した。

 大阪・関西万博は10月14日に来場者数を発表。約2900万人(関係者340万人を含む)が訪れた。各パビリオンの公式な来館者数は発表されていないが、カナダ館は満足度の高い人気パビリオンとして報道各社が紹介している。

 10月12日には、The Bureau International des Expositions(BIE)によるBIEデー表彰式が行われ、「大阪・関西万博 2025 公式参加者アワード」を発表。カナダ館は、Exhibition Design部門独自パビリオン出展「タイプA」(1,500㎡以上)で、金賞中国、銀賞インドネシアに次ぐ銅賞を獲得した。BIEは、3週間を超えて開催される非商業的性格を持つ全ての国際博覧会(「万博」)を監督・規制する責任を持つ政府間機関。

 カナダ館は、川の氷が春に解けるときに氷の破片が集まって流れをせき止める自然現象「水路氷結」に由来する氷をイメージした外観と、氷が砕けて冬の終わりと春の訪れを告げ、川の水が解放されて流れ出し、大地の再生が始まりを表した床のデザインが美しいカナダを表している。

https://www.canadaexpo2025.ca/ja-jp

大屋根リングから見たカナダ館。「再生」をテーマにした美しいデザインのパビリオン。左の列は館内への入り口、右の列はプーティンなどが楽しめるレストランへの入り口。2025年10月7日、大阪市。撮影 三島直美/日加トゥデイ
大屋根リングから見たカナダ館。「再生」をテーマにした美しいデザインのパビリオン。左の列は館内への入り口、右の列はプーティンなどが楽しめるレストランへの入り口。2025年10月7日、大阪市。撮影 三島直美/日加トゥデイ

(取材 三島直美)

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