日本語教師 矢野修三
日本企業バンクーバー支店の駐在員、K氏が任期終了し、日本に戻ることになった。大学の後輩でもあり、かつてよくゴルフを一緒にした仲なので、軽くお別れ会を行なった。
先ずはビールで乾杯。そこで、ゴルフ好きの彼から、「19番ホールのビールはこたえられません。でも最近の若者はこの言葉、ほとんど使いませんね。なぜですか?」。さらに、「今まで書いたことはなく、どんな漢字か知りませんでしたが、日本の友人に、バンクーバーの夏のゴルフはこたえられないと、メールしようとして、調べてびっくりしました」である。なるほど。
そこで早速、この「こたえられない(堪えられない)」の勉強会を始めた。彼は中学のころから、国語が好きだったようで、言葉にとても関心あり。でも以前、「他人事」の読み方を間違えており、「ひとごと」と言わなければ、名だたる商社マンとしては恥ずかしいよ、と注意した。すると、えー、ずっと「たにんごと」だと思い込んでいました。忸怩たる思いですと、大いに恐縮させてしまった思い出がある。
この漢字「堪」は常用漢字で、音読みは「カン」、訓読みは「たえる」だが、それ以外に、常用漢字外の読み方があり、それが「こらえる」と「こたえる」である。でも、漢字表記はすべて、「堪える」なので、ものすごくややこしい。
意味はいずれも我慢する、辛抱するという雰囲気は共通しているがニュアンスは少しずつ異なる。例えば、①暑さに堪える(たえる)、②暑さを堪える(こらえる)、③暑さが堪える(こたえる)となり、確かに戸惑ってしまう。でも日本人であれば、使い方は助詞なども、さりげなく異なるので、なんとなく区別できる。
でも可能形、特に可能否定形になると複雑さが倍増する。すなわち、「堪えられない」で「たえられない」、「こらえられない」そして、「こたえられない」と読み分けなければならず、「ら抜き」も絡んで、母語として、堪えれない。
さらに、「こたえられない」は我慢できない、の意味が広がって、圧倒されるほどすごい、素晴らしいという意味も加わり、「風呂上りのビールは堪えられない」や、「ここからの景色は堪えられない」などなど。話し言葉として、こんな使い方もするようになった。
しかし、メールなどで、これを「たえられない」と読まれてしまったら、まったく逆の意味になってしまう。めっちゃやばい。そこで漢字など使わず、ひらがな書きが分かりやすく簡単。それゆえ、漢字など知らないほうが逆に正解かも。
まして、ネット世代にとって、こんな長くて面倒な「こたえられない」を使う必要性など、マジでなくなり、言葉は時代とともに、を強く感じるねと、彼と談笑した。
確かに、日本語は奥の深い言語なので複雑だが、面白さもある。表題の「堪える」は「堪えられない」だが、「こたえる」は「こたえられない」と読んでもらい、「こたえる」は、極めて興味深い言葉だから、こたえられない、ということを書きたかった次第でござる。

「ことばの交差点」
日本語を楽しく深掘りする矢野修三さんのコラム。日常の何気ない言葉遣いをカナダから考察。日本語を学ぶ外国人の視点に日本語教師として感心しながら日本語を共に学びます。第1回からのコラムはこちら。
矢野修三(やの・しゅうぞう)
1994年 バンクーバーに家族で移住(50歳)
YANO Academy(日本語学校)開校
2020年 教室を閉じる(26年間)
現在はオンライン講座を開講中(日本からも可)
・日本語教師養成講座(卒業生2900名)
・外から見る日本語講座(目からうろこの日本語)
メール:yano94canada@gmail.com
ホームページ:https://yanoacademy.ca