
戦前の日系人野球チーム「朝日軍」の初代団長、松宮外次郎(1873〜1957)の孫、松宮哲(さとし)さんが、9月18日にブリティッシュ・コロンビア(BC)州バンクーバー市のBCスポーツ殿堂博物館を訪れた。この日は偶然にも、朝日軍が最後の試合を行った1941年9月18日の記念日と重なった。
哲さんは、映画「バンクーバーの朝日」を見たことをきっかけに松宮商店と朝日の研究を開始。長年の調査活動が実を結び、祖父の記念メダルが今年7月にカナダから届いた。喜びを胸に、現地のカナダで初代団長の足跡をたどった。
滋賀県から祖父の足跡たどり、バンクーバーへ
松宮外次郎さんは1896年にバンクーバーへ渡り、日本町「パウエル街」で食料雑貨店「松宮商店」を開業した。野球用品も扱ったことから、店員らが中心となり1914年に朝日軍が結成され、初代団長を務めた。
哲さんが祖父の足跡を調べ始めたのは、2014年公開の映画「バンクーバーの朝日」を見たのがきっかけだった。父、増男さんの著書「開出今物語-梅の花と楓」に朝日軍の記述がわずかにあったことから、「これはひょっとしたら祖父とつながりがあるのでは」と感じたという。
哲さんは、10歳のときに祖父を亡くし、直接祖父からカナダでの話を聞く機会はなかった。それでも父から聞いた話を手掛かりに、約2年間にわたりバンクーバーの新聞記事を調べ続けた。その結果、松宮商店が朝日軍の拠点となり、外次郎さんが創設と運営を支える重要な役割を果たしていた事実にたどり着いた。2017年には著書「松宮商店とバンクーバー朝日軍」を出版。「調べれば調べるほど分かっていく。もっと知りたいという気持ちが研究を続ける原動力になった」と語る。
研究を進める中で、朝日の選手に贈られたメダルの多くが遺族に渡っていないことも分かった。哲さんは、同じく朝日軍の選手を祖父に持つ嶋洋文さんと協力し、約10年かけて遺族探しとBCスポーツ殿堂博物館への情報提供に取り組んだ。これまでに30人の遺族へメダルを届けることに貢献。今年7月には、外次郎さんの記念メダルが哲さん自身の手にも届いた。
現地で祖父の足跡を実感、涙が出た

松宮さんにとって今回が初めての海外訪問。カナダに到着後も「ずっと興奮しっぱなしでなかなか寝られない」と胸を弾ませている様子だった。当初は1年前に訪問を計画していたが、新型コロナウイルスに感染し延期を余儀なくされたため、念願の訪問だったという。
ジャパンタウン跡地、かつて松宮商店があった場所にも足を運び、「感動した。涙が出てきた。父も祖父もここにいたから、どうしてもここで(父と祖父を)感じたかった」と思いもひとしお。
現地を訪れたことで新たな発見もあった。地図や映像だけでは分からなかった街の広さや道の感覚、当時の商店の規模などを実際に体感し、「こんなに(松宮商店は)狭かったのかと驚いた。日本人は起伏のある土地に住んでいたが、ここは平坦で、その違いも印象的だった」という。気候についても「湿気がなく住みやすいと感じた。来てみないと分からないことばかりで、体験できてよかった」とうれしそうに話した。
今も語り継がれる頭脳野球 今でも人気の朝日

BCスポーツ殿堂博物館のジェイソン・ベックさんは、朝日軍が今でも人気の殿堂入りチームだと説明。朝日のプレースタイルについて「バントなどの頭脳的な野球で、非常に速く、カナダのスタイルとは大きく異なっていた」と話す。さらに、「一度もヒットを打たずに勝った試合があった」という逸話を紹介。四球で出塁し、盗塁を重ねて得点につなげるなど、独自の戦術が広く尊敬を集めた理由の一つだとした。

厳しい差別の中で「フェアプレー」を貫いた朝日の展示を前に、訪問に同行した滋賀大学の学生、岩崎里音さんは「移民はただ普通にそこに住んで、商売をして暮らしてるだけなのかなって思ったら、野球でこんなに活躍したことにびっくりしました」と、朝日の功績に驚いていた。
若い世代へ歴史のバトンを 滋賀県で研究会設立へ
松宮さんは、今後の活動として、若い世代へ朝日の歴史をバトンタッチしたいという。学生には「いろんなことを知ってほしいし、自分で感じたことを次の世代に伝えていってほしい」と期待した。
こうした活動の一環として、松宮さんは今年、滋賀県で「滋賀・カナダ移民研究会」を立ち上げた。この研究会は、明治・大正期に琵琶湖の湖東や湖北地域からカナダへ渡った人々の生活や足跡を掘り起こし、後世へ残すことを目的としている。
松宮さんによると、カナダに渡った日本人のうち、1910年ごろは滋賀県出身者が最も多かったという。今後もこの地方出身者をはじめ、日本からの移民の歴史をより詳しく研究していきたいと語った。

(取材 田上麻里亜)
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