もう一つの8月9日〜グレイ大尉と女川と北極と

命名式でスピーチする山野内大使。2025年8月9日、ノバスコシア州ハリファックス。写真 在カナダ日本国大使館
命名式でスピーチする山野内大使。2025年8月9日、ノバスコシア州ハリファックス。写真 在カナダ日本国大使館

寄稿 在カナダ日本国大使館・山野内勘二大使

 第二次世界大戦末期の1945年8月9日午前11時2分、原子爆弾が長崎に投下された。以来、8月9日は、世界中の人々に記憶され、犠牲者の追悼と平和を祈念し、「核兵器のない世界」への決意を確認する特別な日だ。

オンタリオ州オタワ市にあるハンプトン・グレイ大尉の胸像。写真 在カナダ日本大使館
オンタリオ州オタワ市にあるハンプトン・グレイ大尉の胸像。写真 在カナダ日本大使館

 一方、一般には殆ど知られていないが、1945年8月9日は、東北地方の宮城県牡鹿半島の女川湾で英空母フォーミダブルの艦載機による空襲が敢行された日でもある。そして、作戦遂行中に攻撃隊長であったブリティッシュ・コロンビア(BC)州出身のロバート・ハンプトン・グレイ大尉が戦死した。享年27歳。UBCの医学生から志願した優秀なパイロットで、第二次世界大戦におけるカナダ軍人最後の戦死者だ。今日に至るまでカナダ海軍史上唯一のヴィクトリア・クロス勲章受賞者である。首都オタワの中心部コンフェデレーション広場の一角にあるヴァリアント記念碑で顕彰されている14人の英雄の1人としてグレイ大尉の胸像もそこにある。

 そして、グレイ大尉は日加関係の進展を象徴するカナダ人でもある。但し率直に言えば、その名前や意味合いは知られていない。概要を記せば次のとおりだ。

 第二次世界大戦が終結し時は流れ、日加関係は共にG7メンバーとして発展する。1989年1月、カナダ政府がグレイ大尉慰霊碑を女川に建てたいとの意向を伝えると、地元では、反対意見が圧倒的だった。カナダにとっては英雄でも地元女川にとっては200人以上の命を奪った女川空襲を指揮した「敵」であると。ここで、空襲当時の日本海軍女川防備隊の通信兵であった神田義男氏が立ち上がる。「戦争を憎む気持ちは日本人もカナダ人も同じだ。憎いのは、敵兵ではなく、戦争そのものだ」と述べ、反対派を説得した。1989年8月、慰霊碑は完成。除幕式には、グレイ大尉の姉フィリスさんら親族も参加。女川の人々も暖かく歓迎し、怨讐を乗り越えて友情が育まれる。日加間の素晴らしい絆だ。因みに、この慰霊碑は、日本に存在する唯一の外国人兵士の慰霊碑だ。

 実は、除幕式の機会に、神田氏は寄せ書きのためのカナダ国旗を用意して、参加者はメッセージと名前を記した。以来、神田氏は、この旗を日加友好のシンボルとして様々な機会に持参し、日加関係者の寄せ書きが増えていった。2003年には、フィリスさんの孫マルシアさんの結婚式がバンクーバーで行われ、神田氏の家族も招待された。交流は深まっていく。2005年に神田義男氏は天寿を全うするが、その後も国旗への寄せ書きは続く。余白が埋まると2代目のカナダ国旗に寄せ書きは続いた。

 しかし、2011年3月11日、東日本大震災の大津波が女川を襲い全てを飲み込んだ。グレイ大尉碑も失われた。が、地元女川の人々の手で再建された。神田家も家族全員が犠牲となった。仙台在住で難を免れた孫の義健さんは、何度も女川に戻り探索するも何の手掛かりもない失意の日が続く。ところが、6月、義健さんは、瓦礫の下から、ポリ袋に入れられ丁寧に畳まれた新旧2つの友好の国旗を見つける。全てを失った神田家に残された唯一のものだった。正に奇跡だ。そして、寄せ書きは、今も続けられている。イアン・マッケイ駐日カナダ大使も私も日加友好親善に最善を尽くすと署名した。グレイ大尉と女川の逸話は、ここまででも十分にインパクトがある。だが、物語は更に続く。

 本年7月、1枚の招待状が私に届いた。曰く、8月9日にカナダ海軍の最新鋭北極・沖合哨戒艦への命名式がハリファックス海軍基地で挙行される、艦名はHMCSロバート・ハンプトン・グレイだ、と。命名式はグレイ大尉の命日(1945年8月9日)に因んで計画された。日加関係の重要性から駐カナダ日本大使として私も招待された。しかし、長崎県出身の私は悩んだ。8月9日にはオタワ・ガティノーで原爆犠牲者追悼式典があるからだ。身体が二つあればと思ったが、ハリファックスに出張し命名式に出席した。そこで見聞した事は極めて印象的だった。是非、読者と共有したい。

 まず、HMCS Grayの来歴だ。全長103メートル、排水量は約6,600トン、速力は最高17ノット、航続距離は6,800海里だ。主たる任務は、北極海域での主権維持、領海警備、災害対応、NATOや国際任務の支援。過酷な環境に対処するため、厚さ2メートルの一年氷を3ノットで連続突破する砕氷機能を持つ。断熱構造と強力な暖房・換気システムを完備し、北極圏で補給なしで120日間の自立行動が可能だ。更に、大型フライトデッキと格納庫を備えており、CH-148サイクロン対潜哨戒ヘリコプターを搭載する。

 カナダ海軍は、連邦政府が打ち出した「国家造船戦略」に基づき、HMCS Grayを含む6隻の北極哨戒艦を2018年から順次、建造し今般完結した。国防戦略「Our North, Strong and Free」に規定されているとおり、北極圏は最重要海域だ。

命名式での集合写真。2025年8月9日、ノバスコシア州ハリファックス。写真 在カナダ日本国大使館
命名式での集合写真。2025年8月9日、ノバスコシア州ハリファックス。写真 在カナダ日本国大使館

 命名式には、サヴェージ州総督、マクギンティ国防大臣、トプシー海軍司令官、アーヴィン造船所関係らが列席。カナダの国防政策上の重要性は明らかだ。私は、スピーチの中で、日加関係が飛躍的に発展する中、グレイ大尉の名が刻まれた背景には神田義男氏の信念がある旨指摘。神田氏の孫の義健さんと曾孫の惟吹君も命名式に招かれている旨紹介すると、会場から大歓声が両名に送られた。命名式後には、神田家とグレイ大尉の親族との周りには人垣が出来ていた。国と国の関係の土台には個々人の友情があるのだと得心する光景だった。

神田家とグレイ大尉の親族と一緒に。2025年8月9日、ノバスコシア州ハリファックス。写真 在カナダ日本国大使館
神田家とグレイ大尉の親族と一緒に。2025年8月9日、ノバスコシア州ハリファックス。写真 在カナダ日本国大使館

 HMCS Grayは、今後、所要の準備を経て太平洋岸のエスカイモルト基地に配備され、太平洋、ベーリング海峡側から北極海を守る任務に就く。21世紀の苛烈な地政学的な現実を考えれば、最初の小さな一歩かもしれないが、時宜にかなった的確な動きだ。今後更に強化されることが期待される。

 日本も北極に関し、地球環境、ビジネス、先住民、国際協力の観点のみならず、安全保障面からも注視している。日加間で合意された「自由で開かれたインド太平洋に資する行動計画」には、北極における協力も明記された。カナダ軍が主催し米軍も参加している北極圏でのナヌーク演習にも自衛隊もオブザーバー参加している。

 資源大国カナダとの経済・ビジネス面での関係は緊密だが、安全保障分野での日加協力も進展している。80年前の8月9日に女川で戦死したロバート・ハンプトン・グレイ大尉は21世紀の新しい日加関係を象徴する。昨日の敵が今日の友になり、明日の平和のための同志国となるのだ。

命名式記念盾。写真 在カナダ日本国大使館
命名式記念盾。写真 在カナダ日本国大使館

(了)

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