「カナダ“乗り鉄”の旅」第30回 「ラッキー」と思ったことを後悔、山火事の爪痕に心を痛める シリーズ「カナディアン」【4】

大塚圭一郎

VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」に連結されたスカイラインドームカー(ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)
VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」に連結されたスカイラインドームカー(ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)

 カナダ西部ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーと最大都市の東部オンタリオ州トロントの約4466キロを4泊5日で結ぶVIA鉄道カナダの看板列車「カナディアン」に2024年8月に乗車する前、私は「本当に走るのか」とやきもきしていた。というのも、途中に通る西部アルバータ州の保養地ジャスパーを襲った山火事によってカナディアンも運休が相次いでいたからだ。予約していた2024年8月12日バンクーバー発のトロント行き列車も「出発前または運行中に代替輸送手段を提供せずに運休する可能性がある」と警告されていたが、被災したジャスパー駅を通過して運行すると分かると「ラッキーだった」と胸をなで下ろした。

 だが、中央に突き出た2階のドーム形部分から360度の眺望を楽しめる客車「スカイラインドームカー」に乗り込み、山火事の爪痕の大きさを目の当たりにした時には心が痛んだ。そして、自分の都合ばかりを気にしていたことを悔いた。

【スカイラインドームカー】アメリカの金属加工メーカー、旧バッドなどが製造した1954年登場のステンレス製客車。1階にはテーブル席や長いすがあり、天井部分までドーム状のガラス張りになった2階には左右二つずつのクロスシート座席が6列、計24席並んでおり、車両全体で計62人が着席できる。名称は1933年にカナディアンロッキーを踏破したハイキング愛好家団体「スカイライン・トレイル・ハイカーズ・オブ・ザ・カナディアンロッキー」に由来する。カナディアン・パシフィック鉄道(CP、現・カナディアン・パシフィック・カンザスシティー)が発注して1954~55年に製造した。

 国営企業VIA鉄道カナダが1978年に国内の都市間旅客鉄道を集約した際、CPのスカイラインドームカーを含めた車両を譲り受けた。VIA鉄道は看板列車「カナディアン」の他に、中部マニトバ州のウィニペグ―チャーチル間を走る夜行列車などにもスカイラインドームカーを連結している。

▽「非常事態宣言」の連絡で運休も覚悟

 カナディアンの乗車を控えた日本時間2024年8月8日、VIA鉄道からバンクーバー発トロント行きのカナディアン2号の予約者宛てのメールを受け取った。「ジャスパーでの山火事の拡大により、非常事態宣言が発令されました」と説明した上で、VIA鉄道は「安全運行が保証できない場合、本列車は出発前または運行中に代替輸送手段を提供せずに運休となる可能性があります」と注意を促した。

 さらに「運行の安全性および大気の質に関して状況を注視しています」という一文を読み、運休を覚悟した方が良いかもしれないと思った。山火事の勢いが収まったとしても、火事による有害な煙も運休要因になりかねないと警告していたからだ。

 それだけに、列車がバンクーバーのパシフィックセントラル駅を8月12日午後3時に出発しても、走り続けられるかどうかには一抹の不安があった。ジャスパー周辺で火事が続き、煙が線路の周辺に立ちこめていた場合には運行を取りやめる可能性があると考えていたからだ。

 先を見通せない中で、なんとか手がかりを得ようと日中にしばしば足を運んだ客車がある。それは2階部分にあるドーム状の窓ガラスからから360度の眺望を味わえるスカイラインドームカーだった。

 夏の繁忙期だったため、列車は機関車と客車を計22両もつないでいた。途中には3両のスカイラインドームカーが連結されており、うち先頭から6両目がリクライニング座席で過ごすエコノミークラスの利用客用で、10両目と18両目が私の利用した寝台車「スリーパー寝台車クラス」にあてがわれていた。

 うち10両目は、2023年12月にトロントからバンクーバーまでのカナディアン1号を利用した時に乗り込んでいた客室乗務員のエミリー・ファラージさんが担当すると本人から連絡を受けていた。

 バンクーバーを出発した約1時間後、私は息子とともに15両目の2人用個室寝台を出て10両目へ向かった。

▽「W」と記した看板の意味は

VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」に連結されたスカイラインドームカーで、書籍を示す客室乗務員のエミリー・ファラージさん(ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)
VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」に連結されたスカイラインドームカーで、書籍を示す客室乗務員のエミリー・ファラージさん(ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)

 ファラージさんは地質学者の父親が北海道大学で研究していたため札幌市で生まれ、約7カ月過ごした。オーストラリア・クイーンズランド州の州都ブリスベーンを経て、1988年の冬季オリンピックが開かれたアルバータ州カルガリーへ2003年に引っ越した。岐阜県内の高校を卒業した日本語教師の母親から日本語を教わり、高校卒業後の15年には福岡市の日本語学校で約3カ月間学んだ。

 ファラージさんと約8カ月ぶりに再会し、日本からのお土産の菓子を手渡した。ファラージさんから「この後、ドーム(2階部分)で列車の説明をします」と聞き、息子と一緒に参加させてもらうことにした。

 スカイラインドームカーでのイベントは担当者に裁量が与えられており、カナディアンについての紹介や沿線地域の説明、沿線のワインの試飲会、ビンゴ大会などが催される。私がつくづく感心するのは、客室乗務員が内容をよく調べた上で、自分の言葉で参加者に話しかけていることだ。これはとかくマニュアルに書かれた文言に頼りがちな日本の列車乗務員とは大違いだと言える。

 ファラージさんが出発1時間半後の西部時間午後4時半に始めたレクチャーに、私はヤマを張った質問が試験に出題された学生のような気分で参加した。解説のあった線路沿いの「W」の文字を記した看板は「WHISTLE」の頭文字で「警笛を鳴らせ」の意味、「W」の文字に車線が入った看板は「警笛を鳴らすな」の意味、線路沿いに点在している柱はかつて電報を打つ際に使われていたといった事柄は既に知っていたからだ。

 というのも、ファラージさんはカナダでの鉄道旅行を紹介する書籍『Canada by Train(カナダ・バイ・トレイン)』を引用しながら説明しており、私もこの書籍を読んだからだ。2023年12月にカナディアン1号に乗った際にファラージさんから教えてもらい、途中のジャスパー駅の売店で購入したのだ。

▽再チャレンジ

VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」の前に立つ筆者(ブリティッシュ・コロンビア州のブルーリバー駅で)
VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」の前に立つ筆者(ブリティッシュ・コロンビア州のブルーリバー駅で)

 2日目の2024年8月13日の午前8時25分ごろ、列車はブリティッシュ・コロンビア州の無人駅、ブルーリバーに到着した。車外に出ると美しい山並みが広がり、空気も澄み切っている。

 15分の停車は、車内で禁煙を余儀なくされている喫煙者にとってはまるでオアシスを見つけたような至福の時間で、あちこちで紫煙をくゆらせていた。

 最高峰とされるロブソン山(標高3954メートル)をはじめとするカナディアンロッキーの車窓を楽しむため、ファラージさんが乗務する10両目のスカイラインドームカーの2階部分に陣取った。しばらくするとファラージさんが現れ、「皆さん、カメラの準備はいいですか。シャッターチャンスが近づいてきますよ」と予告した。

VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」から撮影したブリティッシュ・コロンビア州の「ピラミッドの滝」(大塚圭一郎撮影)
VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」から撮影したブリティッシュ・コロンビア州の「ピラミッドの滝」(大塚圭一郎撮影)

 この区間を通る列車に乗らなければ全容を見られないという滝が進行方向右手に迫っているのだ。2段になった高さ約90メートルのピラミッドの滝で、私は2023年12月のカナディアン1号乗車時にはシャッターを切るタイミングを逃して“玉砕”した。

 そこで再チャレンジとばかりに、スカイラインドームカーの1階にある窓の一つに陣取って「今度こそ」とカメラを構えた。すると、列車の速度が遅めだったためか成功した。

▽言葉を失う光景

 食堂車でトーストなどのブランチを味わった後、2階の席に戻るとカナディアンロッキーの麓に群青色に彩られた湖面が車窓に広がった。列車は長らく走ってきたブリティッシュ・コロンビア州をようやく抜け、アルバータ州へと入った。

VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」の車窓に広がる山並みと湖面(大塚圭一郎撮影)
VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」の車窓に広がる山並みと湖面(大塚圭一郎撮影)

 通常ならば次の停車駅の有名保養地、ジャスパーが近づいているため、客車では準備作業に当たる客室乗務員がそわそわするところだ。降車客も支度を始めるところだが、この日は慌てた様子は全く見られなかった。

 というのも、山火事で大きな被害を受けたジャスパーを通過し、次の停車駅のアルバータ州の州都エドモントンへそのまま向かうからだ。ジャスパーに近づくとファラージさんが2階に上がってきて、「ジャスパーは山火事によって町の約4分の1が消失しました」と説明を始めた。約8カ月前に通った時に住宅が並んでいた一角は燃えた木材が山積みにされ、樹木は焼けただれており、火の勢いがいかにすさまじかったのかを物語っていた。

山火事の被害に遭ったカナダ西部アルバータ州ジャスパーでは、多くの木も焼けただれていた(大塚圭一郎撮影)
山火事の被害に遭ったカナダ西部アルバータ州ジャスパーでは、多くの木も焼けただれていた(大塚圭一郎撮影)
山火事の被害に遭ったカナダ西部アルバータ州ジャスパー(大塚圭一郎撮影)
山火事の被害に遭ったカナダ西部アルバータ州ジャスパー(大塚圭一郎撮影)

 そんな光景が眼前に広がっていることに言葉を失った。そして、カナディアンが予定通り運行するかどうかという些事で一喜一憂していたことを申し訳なく思った。

 住民の皆様が避難して無事だったことは不幸中の幸いだったものの、家を失って茫然自失とした方々も多いはずだ。被害に遭われた皆様が1日も早く日常を取り戻せることを心から願った。

 カナダ輸出開発公社によると、2024年時点で約4780人の人口を抱えていたジャスパーの就労者の半数弱は旅行業に就いているが、山火事の影響で24年の旅行者数は前年より46%減の約114万人に落ち込んだ。計358の住宅と企業が山火事で焼失し、宿泊施設は約2割減った。

アルバータ州観光公社の国際市場担当事務局長、ダーリーン・フェドロシンさん(大阪市で大塚圭一郎撮影)
アルバータ州観光公社の国際市場担当事務局長、ダーリーン・フェドロシンさん(大阪市で大塚圭一郎撮影)

 今もジャスパーは復興の途上にあるが、2025年9月に来日したアルバータ州観光公社の国際市場担当事務局長、ダーリーン・フェドロシンさんは「ジャスパーにとって観光業は極めて重要であり、火災後の復興に協力して取り組んでいる町に対して私たちも支援してきました」と訴えた。そして「ジャスパーが以前にも増して美しい観光地として必ず再生するでしょう」と強調した。

 次にVIA鉄道でジャスパーを訪れる時には、魅惑的な山岳リゾート地によみがえった元気な姿を見せてくれることを強く期待している。

共同通信社元ワシントン支局次長で「VIAクラブ日本支部」会員の大塚圭一郎氏が贈る、カナダにまつわる鉄道の魅力を紹介するコラム「カナダ “乗り鉄” の旅」。第1回からすべてのコラムは以下よりご覧いただけます。
カナダ “乗り鉄” の旅

大塚圭一郎(おおつか・けいいちろう)
共同通信社経済部次長・「VIAクラブ日本支部」会員

1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科を卒業し、社団法人(現一般社団法人)共同通信社に入社。2013~16年にニューヨーク支局特派員、20~24年にワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。24年9月から現職。国内外の運輸・旅行・観光分野や国際経済などの記事を多く執筆しており、VIA鉄道カナダの公式愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員として鉄道も積極的に利用しながらカナダ10州を全て訪れた。

 優れた鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅(てつたび)オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を2013年度から務めている。共同通信と全国の新聞でつくるニュースサイト「47NEWS(よんななニュース)」や「Yahoo!ニュース」などに掲載されている連載『鉄道なにコレ!?』と鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」(https://www.47news.jp/column/railroad_club)を執筆し、「共同通信ポッドキャスト」(https://digital.kyodonews.jp/kyodopodcast/railway.html)に出演。
 本コラム「カナダ“乗り鉄”の旅」や、旅行サイト「Risvel(リスヴェル)」のコラム「“鉄分”サプリの旅」(https://www.risvel.com/column_list.php?cnid=22)も連載中。
 共著書に『わたしの居場所』(現代人文社)、『平成をあるく』(柘植書房新社)などがある。東京外大の同窓会、一般社団法人東京外語会(https://www.gaigokai.or.jp/)の広報委員で元理事。