大塚圭一郎
VIA鉄道カナダの夜行列車「カナディアン」の列車番号2番の東部オンタリオ州トロント行きに乗り込むため、西部の主要都市ブリティッシュコロンビア州バンクーバーを訪れた。予約していたのは寝台車の個室「寝台車プラスクラス」で、夢見心地の車中泊を体験できることは折り紙付きだ。それでも、乗り込むのは1954年に登場した「古希」を過ぎた客車だけに、サプライズも待ち受けていた。
【カナディアン】カナダの都市間旅客鉄道を運行する国営企業、VIA鉄道カナダが運行している北米唯一の大陸横断旅客列車。トロントの中央駅に当たるユニオン駅とバンクーバーのパシフィックセントラル駅を4泊5日、93~97時間程度かけて結ぶ。カナダの中央銀行、カナダ銀行が発行していた10カナダドルの旧紙幣に、カナディアンがカナディアンロッキーを駆けるイラストを載せていたように看板列車の位置づけで、列車番号はトロント発バンクーバー行きのカナディアンに「1番」、バンクーバー発に「2番」を付けている。
列車には最も安く利用できる座席のエコノミークラス、開放型の上下になった2段寝台、原則として1人用と2人用がある個室寝台の「寝台車プラスクラス」、2人用個室の豪華仕様になった最高級の「プレスティージ寝台車クラス」がある。ドーム状のガラス張りの展望スペースを2階に備えた客車や、シェフが車内でその場で調理した料理を提供する食堂車も連結している。カナダだけではなく外国の旅行者からも人気があるため、寝台車は早い段階で予約が埋まることが多い。
▽列車に乗るのに、利用者は入り口と反対方向へ“逆流”
2024年8月12日午後、バンクーバーのパシフィックセントラル駅の待合室で列車に案内されるのを待っていた。頭端式プラットホームが並んでおり、行き止まりになった線路の先に待合室のテラス席がある。私はホーム近くの“一等地”に陣取ってコーヒーを味わっていた。
「カナディアン」の最後尾に連結される先端が丸くなった展望車「パークカー」を眺めながら、この先の旅路を想像するというのは実にぜいたくな時間だ。出発の30分前となった午後2時半ごろ、係員から「お待たせしました。列車にご乗車ください」と案内があった。
この待合室には駅のコンコースから入ってきたため、私はその順路を戻ろうとしたが、人流に行く手を阻まれた。他の利用者が“逆流”してホームの方へ向かってくるのだ。
振り返ると、係員がテラス席とホームの間に置かれていたついたての一角を開いていた。その隙間を通り、利用者がそのままホームになだれ込んで列車へと向かった。なんとも合理的な仕組みだ。
私もきびすを返してホームへと進み、予約していた15号車の「寝台車プラスクラス」の2人用個室に入った。日中は列車内を放浪することが多い息子と私がこの個室を使い、客室でゆっくりと過ごすことを好む妻には同じ「寝台車プラスクラス」の近くにある1人用個室を手配していた。
▽トイレの洗浄ボタンもしっかりと指さし確認、もっともな理由は

2人用個室「寝台車プラスクラス」は窓際の通路に沿った奥行き2・2メートル、幅1・51メートルの部屋で、扉で仕切られたトイレも備えている。日中は2脚のいすがしつらえており、夜になるといすを折りたたみ、代わりに2段の寝台を引き出す。上の段の寝台は天井から降ろし、下の段は壁から引き出す。
息子と私がいすに腰かけていると、客室乗務員のクレールさんがやって来て照明のスイッチの位置、非常時の脱出方法を説明してくれた。鉄道員(ぽっぽや)らしく、トイレの洗浄ボタンもしっかりと指さし確認をして教えてくれた。

それにはもっともな理由があった。近くには客室乗務員の呼び出しボタンがあり、同じくらいの大きさの円形のボタンで見分けにくいのだ。もしも説明を省略してしまい、結果として真夜中も個室から「呼び出し」がかかってしまっては客室乗務員も安眠を妨害されかねないのだ。
一通りの説明を終えると、クレールさんは「夕方に(2段の寝台を引き出す)ベッドメーキングが必要な時と、朝に片付ける時にはそこにつり下がっているルームタグを扉に掲げてください。私が対応します」と話し、次の個室へと向かった。
▽ルームタグには日本語も!
ホテルの客室で見かけるのと同じようなルームタグは、カナダの公用語である英語とフランス語に加えてドイツ語、スペイン語、そして日本語も記されている。唯一のアジアの言語に国連公用語で話者も多い中国語ではなく、日本語を採用しているのは「最近は少なくなってしまったものの、かつては大勢の日本人が乗車していた」(客室乗務員のエミリー・ファラージさん)という日本人が海外へ盛んに雄飛していた黄金時代の〝遺産〟らしい。

ただ、英語の「Please make up the room」を日本語で「部屋を作ってください」と記しているのはやや直訳的な気がした。「部屋を掃除してください」と表記した方が良いだろう。一方、裏面の英語の「Please do not disturb」を「邪魔しないでください」と訳したのは適切だ。
入り口の扉の脇には、ふたが付いた小箱がある。目立たないので多くの利用者が気づかないまま入れ替わっていくが、ファラージさんはその正体を「昔は靴箱に使っていたのです。靴を入れておくと、夜中のうちに客室乗務員が靴を磨くサービスがあったのです」と教えてくれた。
ファラージさんは「このため、当時の客室乗務員は靴磨きが終わるまで眠れなかったと聞きました」とした上で、「靴磨きサービスが廃止されて良かったです。続けられていれば、私も深夜労働を余儀なくされていましたので…」とおどけた。
▽1人用個室の日本では考えられない設計とは…
同じ客車には2人用個室のほかに1人用個室、個室ではない開放型の2段寝台、共用のシャワールームとトイレもある。シャワーは寝台車の利用者ならば空いている時に使うことができ、ダイヤルを回して温度を調整し、ボタンを押すとお湯が出てくる。

“使い放題”のシャワーに対し、日本のJRの寝台列車利用者からは「うらやましい」という怨嗟の声が漏れることだろう。というのも、日本で最後の定期寝台特急となった東京―出雲(島根県出雲市)間の特急「サンライズ出雲」と、東京―高松・琴平(香川県琴平町)を結ぶ「サンライズ瀬戸」からなる「サンライズエクスプレス」ではシャワールームが争奪戦になっているからだ。

サンライズエクスプレスのシャワールームを利用するには、シャワーカードが入っているA寝台個室の利用者以外は7両編成に1カ所だけある販売機で売られている330円のシャワーカードを買う必要がある。その枚数が、わずか20枚限定なのだ。
枚数が限られているのはシャワーにお湯を供給する貯水タンクの容量が限られているためで、列車が始発駅を出発する前に早々と売り切れてしまうことも。シャワーカードを使ってお湯が出てくるのは6分間で、シャワールーム内には残り時間が分かる表示器を設けているほど。
列車内のシャワー利用が日本では“高嶺の花”なのに対し、カナディアンはいかに鷹揚なのかを分かっていただけよう。
1人用個室は車両の真ん中の通路に沿って左右にあるため、奥行きは1・1メートルと2人用個室の半分しかない。だが、幅は1・96メートルあるため、横たわるのには十分な広さだ。

室内には2人用個室とは異なり、扉で仕切られたトイレは備えていない。ただし、驚くべきことに“トイレなし物件”ではないのだ。夜間の寝台を引き出した状態では埋もれるものの、日中に座るいすの目の前にはふたが付いているものの便器が置かれているのだ。
私はアメリカで全米鉄道旅客公社(アムトラック)の夜行列車でそのような個室を経験済みのため、妻に「2人用個室と代わってもいい」と申し出た。これに対し、「ベッドを出しっ放しにして過ごせば気にならないからいい」という妻の適応力の高い返事を聞いて胸をなで下ろした。
客室乗務員も1人用個室の利用者には「共用トイレがあるので、そちらをお使いください」と案内していたが、日本では到底考えられない設計であろう。
なお、VIA鉄道およびカナダは全く非がないことを強調しておきたい。この客車を製造した“悪役”はかつてアメリカに存在した企業、その名も「バッド」(※)。読んで字のごとしだ…。
※社名のローマ字表記は「Budd」であり、悪を意味する「Bad」ではありません

共同通信社元ワシントン支局次長で「VIAクラブ日本支部」会員の大塚圭一郎氏が贈る、カナダにまつわる鉄道の魅力を紹介するコラム「カナダ “乗り鉄” の旅」。第1回からすべてのコラムは以下よりご覧いただけます。
「カナダ “乗り鉄” の旅」

大塚圭一郎(おおつか・けいいちろう)
共同通信社経済部次長・「VIAクラブ日本支部」会員
1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科を卒業し、社団法人(現一般社団法人)共同通信社に入社。2013~16年にニューヨーク支局特派員、20~24年にワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。24年9月から現職。国内外の運輸・旅行・観光分野や国際経済などの記事を多く執筆しており、VIA鉄道カナダの公式愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員として鉄道も積極的に利用しながらカナダ10州を全て訪れた。
優れた鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅(てつたび)オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を2013年度から務めている。共同通信と全国の新聞でつくるニュースサイト「47NEWS(よんななニュース)」や「Yahoo!ニュース」などに掲載されている連載『鉄道なにコレ!?』と鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」(https://www.47news.jp/column/railroad_club)を執筆し、「共同通信ポッドキャスト」(https://digital.kyodonews.jp/kyodopodcast/railway.html)に出演。
本コラム「カナダ“乗り鉄”の旅」や、旅行サイト「Risvel(リスヴェル)」のコラム「“鉄分”サプリの旅」(https://www.risvel.com/column_list.php?cnid=22)も連載中。
共著書に『わたしの居場所』(現代人文社)、『平成をあるく』(柘植書房新社)などがある。東京外大の同窓会、一般社団法人東京外語会(https://www.gaigokai.or.jp/)の広報委員で元理事。