サーロー節子さんインタビュー「被爆80年トロントの平和の灯に願いを込める」

オンタリオ州トロント市庁舎平和庭園で行われた「広島・長崎デー」イベントでスピーチするサーロー節子さん。2025年8月6日、トロント市。写真提供 井上ヨシさん
オンタリオ州トロント市庁舎平和庭園で行われた「広島・長崎デー」イベントでスピーチするサーロー節子さん。2025年8月6日、トロント市。写真提供 井上ヨシさん

 アメリカ留学中に期せずして受けたインタビューをきっかけに、被爆者として始まったサーロー節子さんの平和活動は、トロントへと活動の場を移し、そして世界へと広がった。

 2017年国連で核兵器禁止条約が採択され、国際NGO(非政府組織)ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が条約の成立に貢献したとして同年にノーベル平和賞を受賞した。ノルウェー・オスローでは、ICANと共に活動してきたサーローさんが「被爆者」としてスピーチ。「被爆者の声、あの状況をどのように生きてきたのか、どういう思いで今を生きているのか」それに世界が耳を傾けてくれたと感謝する。

 そして今年、広島・長崎に原爆が投下されて80年を迎えた。サーローさんが被爆者として生きてきた80年間の思いは若い世代が引き継いでいく。

ノーベル平和賞でスピーチ「よくあれだけの大役を任せくださいました」

 トロント市で始めた平和活動はオンタリオ州だけにとどまらなかった。ケベック州モントリオールやブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーを訪問して、原爆体験について語った。それからしばらくして「今度は国際的な会議や国連で色々とお話をする機会が与えられました」。

 しかし国連の会議に参加してみると、そこは核保有国の独壇場だったという。「本当にがっかりしました。私たちの意見には耳も傾けてもらえない。国際政治はこういうものなのかと思いました」。被爆の体験を伝え、核兵器の恐ろしさを訴える自分の声は国際舞台では届かない。「非常に苦しみました」。

 しかしやはり心は折れなかった。アメリカ留学で誹謗中傷を受けた時も被爆して亡くなっていった学友たちへの誓いを忘れなかったように、ここでも立ち上がった。

 「私のできることはこれ(話すこと)だけだから、与えられた機会と与えられたスペースで最善を尽くす。コツコツと何十年もよくやってきたと思います」。こう話す時にフッと笑顔を見せる。

 その地道な活動が実ったのが核兵器禁止条約採択だった。「本当に夢のようでした。私の生きている間に起きるなんて」。採択までにはさまざまな場面で多くの人が実現に向けて活動していた。「私がスピーチする機会もどんどん与えてくださって」。交渉会議でもスピーチした。自分ができることを積み重ねた。

 国連交渉会議議長を務めたコスタリカのエレイン・ホワイト元ジュネーブ国連大使とも親しくなり、議論を主導してきたオーストリアのフランツ・クグリッチ軍縮大使らとも、「一緒になってがんばって。『節子、あなたの言うことをいつか実現させます。だからそれまで私たち寝食忘れてやります』って言って、導いてくれました」。

 そして、2017年7月7日、122カ国・地域の賛成で核兵器禁止条約は採択された。前文では核兵器の非人道性を明記し、完全廃絶の必要性を記載。内容では、核兵器の開発・実験・生産・製造などあらゆる行為を禁止している。

 同年、ICANがノーベル平和賞を受賞した。授賞式ではサーローさんがICANと被爆者を代表してスピーチ。「よくあの人たちも私にそれだけの大役をくださったと思います」と振り返り、「やっぱり被爆者の声っていうもの、理論とかなんとかではなくて、あの状況をどのように生きてきたのか、どういう思いで今を生きているのか、ということを、大事にしてくださいました。ありがたいと思っています」。

 サーローさんのノーベル平和賞でのスピーチはYouTubeで視聴することができる。

 条約は2020年10月24日に批准国が既定の50カ国・地域に達し、2021年1月22日に発効した。アメリカやイギリスなどの核保有国のみならず、日本もカナダも批准していない。

 条約の採択は始まりに過ぎないのだ。サーローさんは、「NPT(核兵器不拡散条約)と核兵器禁止条約はお互いをサポートしながら1歩ずつ核廃絶という目的に進められると思うんですけれども」と、疑問と提案を同時に投げかける。NPTはアメリカをはじめ日本もカナダも批准している。しかしそのNPTでさえ風前の灯火だと懸念する。「難しいですね。本当に」。70年間訴え続けたサーローさんから本音が漏れる。

 今年4月28日から5月9日に開催された2026年NPT再検討会議に向けた第3回準備委員会では勧告案を採択できなかった。

次世代へ受け継がれる核兵器廃絶への希望

 「難しい」からといって「諦める」という文字はサーローさんにはない。被爆80年の今年、サーローさんの呼びかけでカナダ10都市で広島・長崎原爆パネル展が開催された(一部は年内に開催)。

 トロント市では8月6日、市庁舎にある「平和の灯」の前で平和式典「広島・長崎デー」がサーローさんも参加して行われた。市庁舎前の水場では灯篭を流し、原爆で亡くなった人を悼み、二度と過ちを繰り返さないと誓った。

 広島市の平和公園内にある原爆慰霊碑から原爆ドームを臨むと手前に平和の灯が見える。両手で支えられているように灯る火は地球上から全ての核兵器がなくなるときに消されるという。

 その平和の灯が太平洋を渡りトロント市で長崎から贈られた水に囲まれて「平和庭園」で灯り続けている。公式には当時のローマ法王が灯し、のちにエリザベス女王が追認したとなっている。この灯を広島から運んだのがサーローさんだった。

 きっかけはトロント市制150周年を迎えるにあたり「なにか意味のあるものを残したい」という思いがあったマッシー・ロンバルディ神父(当時Director of the Office of Social Action in the Catholic Archdiocese of Toronto)がサーローさんに会いたいと言ってきたという。「被爆者で、色々活動して、がんばっているということを新聞で読んだようです」。話を聞くとトロントに「平和公園を作り、そこに広島からの灯と長崎からの水を持ってくる」という案を市に提出したということだった。「そのために私の仲介が必要だったようです。私を信用できると思って話をされたんだと思います」。ロンバルディ神父は1981年にヨハネ・パウロ2世が訪問した広島平和公園に着想を得てトロント市にも同様の記念公園を建設するという構想を1983年に当時のアート・エグルトン市長に持ちかけていた。

 サーローさんもこの計画は信用できると確信し、仲介を引き受けた。トロント市から要請されたのは「広島に行って、トロント市民の希望を伝えて、市の意向を、協力してもらえるかどうか聞いてきてほしい、ということでした。もちろん引き受けました。広島市は大歓迎でした」。当時の広島市荒木武市長に会い、全面的な協力を得た。次はロンバルディ神父と一緒に広島を訪問した。いよいよ広島の灯をトロントに持って帰ってくる大役を果たすことになった。広島市では分火式を行い、特別な入れ物に移され、特別の許可を得てエアカナダで運んだ。

 「平和公園」の建設は順調に進んだ。1984年3月、起工式での最初の鍬入れはピエール・トルドー首相(当時)が行った。同年9月14日、パウロ2世が広島平和公園からの火を「永遠の灯」に点火し、長崎を流れる川から採取した水を池に注いで、トロント平和庭園は完成した。同年10月にはイギリスのエリザベス女王が訪れ、平和への誓いの象徴として公式に追認した。

 「バチカンから法王に来てもらって、その2カ月後には今度はイギリスからエリザベス女王が来てくださって。私が最初に話を聞いた時はこれだけ(小さかった)ものがこんなに大きくなっちゃったんですけどね」と笑う。どんどん規模が大きくなるのはサーローさんの周りではよくあることのようだ。

 完成当時は市庁舎前ネイサン・フィリップ広場の東側に600平方メートルの広さがあった。広場改築工事で閉鎖の可能性もあったが市民の働きかけで存続され、現在は西側に移されている。

 「今度は平和の灯を見た人が、あれが何かわかるように歴史的背景とか、何のために作られたのかとか、教育的なものがないといけないと思って市に働きかけているんです」。93歳、挑戦はまだまだ終わらない。平和に必要なものは「教育」だと確信している。

 若い人たちにも期待している。現在の世界情勢の中で若者は「核時代に生きている自分たちはどういう風に生きればいいのか、ということを探し求めています」と語る。その中で、サーローさんの話に耳を傾け、自分たちで考え、行動していることに希望を持っている。「自分の立場で、どう生きればいいのかと絶えず探し求めています。そうした人たちがこの時期(被爆80年)に本当に立ち上がって、盛り上がって、非常に良い仕事を始めてくれています」と目を細める。

 これまでも若者を中心に話をしてきた。「『節子さん、あなたが言ってくれてよかった。それで私たちも奮い立ったんです』とか言ってくれると、本当にうれしいです」。

 70年前、アメリカ・バージニア州から始まった平和活動は、カナダで、そして、世界で、大きくその翼を広げ、いま確実に若い世代へと受け継がれている。

 サーロー節子さん、93歳。その平和活動はまだまだ終わらない。

8月6日トロント市庁舎前での灯篭流し。2025年8月6日、オンタリオ州トロント市。写真提供 澤原こずえさん
8月6日トロント市庁舎前での灯篭流し。2025年8月6日、オンタリオ州トロント市。写真提供 澤原こずえさん

サーロー節子さんインタビュー「22歳から被爆者として語る覚悟」(前編)
サーロー節子さんインタビュー「I have to break the silence」プライバシーを犠牲にして訴え続けたトロントでの活動(中編)

(取材 三島直美)

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