「モントリオール交響楽団」音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第6回

 音楽ファンの皆様、カナダ・ファンの皆様、或いは、そのどちらでもない皆様、こんにちは。“歳月人を待たず”とは良く言ったもので、2022年も12月半ばです。あと2週間余で2023年です。

 この連載では、カナダが生んだ素晴らしい音楽家を紹介しております。天才の音楽と人生は、音楽を超えて人生の機微を語って余りあるものがありますから、紙面の許す限り色々と書いております。一方、音楽の要諦は、異なる音が最高の形で出会って生む美しき響きです。つまり、音楽においては、1+1=2とは限らず、場合によっては音楽家同士の大きな相乗効果で1+1が無限に大きくなる奇跡的な事もある訳です。

 その意味で、オーケストラこそ音楽に関するほぼ全てが詰まっている玉手箱と言ってもいいでしょう。自分が一番だと信じ切っている人が世界中から集う一流オーケストラは、百人余の演奏家を擁する動物園です。猛獣使いの指揮者とがっぷり四つに組み、素晴らしい音楽を生み出します。オーケストラは、多種多様な個性がぶつかる人間臭い最高の場にして、地元のエッセンスが溶込んだ、地元の誇りです。

 ということで、2022年最後の連載は、モントリオール交響楽団です。カナダが誇る、世界屈指の名門オーケストラです。

1.オーケストラの誕生

 現在のモントリオール交響楽団の母体となった「交響楽団(Les Concerts Symphoniques)」が設立されたのは1934年です。設立の中心は、指揮者・ピアニストにして作曲家のウィルフリード・ペルティエです。最初の芸術監督に就任し、手塩にかけてこの楽団を育てます。非常に興味深い音楽家で、いずれペルティエについても書いてみたいと思います。

 現在の名称になったのは1954年です。非常に若いオーケストラです。クラシック音楽は、ヨーロッパで発展して来て、古典派のバッハ・ヘンデル、更には、その源流になったルネッサンス期の音楽に遡れば、500年余の豊穣な歴史があります。例えば、モーツアルトが生まれたのは1756年ですから、国家としての米国やカナダよりも古い訳です。故に、世界の楽壇では伝統と格式に重きが置かれています。が、この新設の若き交響楽団は、イーゴリー・マルケビッチやズービン・メータといった巨匠を音楽監督に迎え、確実に地歩を得ていきます。

2.「フランスのオーケストラよりもフランス的なオーケストラ」

 1977年、シャルル・デュトワが音楽監督に就任します。これを期に、モントリオール交響楽団は評価を急速に高めて行きます。最大の要因は、デュトワの徹底的な指導です。意に沿わない楽団員には辞めてもらったそうです。結局、相当部分の楽団員を入れ替えて、楽団を鍛え、音色を磨きました。モントリオール交響楽団をデュトワ色に染め上げた訳です。ある意味、独裁者であり鬼です。

 因みに、デュトワは1936年スイスはローザンヌ出身。ジュネーブ音楽院等に学び、23歳で指揮者デビューを飾り、ウィーン国立歌劇場はじめ世界のオーケストラを指揮して来ました。また、恋多き男で4回結婚しています(ヘミングウェイと同数)。2度目の妻がマルタ・アルゲリッチです。そんな鬼才が指揮者として脂の乗った44歳でモントリオールにやって来た訳です。

 指揮者は直接楽器を演奏しません。各楽団員に言葉と身振り手振りで指示を出し、各楽器のテンポとタイミング、音色、強弱、ピッチ、ヴィヴラート等々のアーティキュレーションを制御します。オーケストラ全体の響きを聴ける唯一の存在が指揮者ですが、実際に楽器を奏でるのは各々の演奏者です。それぞれに美学があり自負があります。指揮者と楽団員の間には、1人vs百人の緊張と葛藤がありますが、それを乗り越える時に素晴らしい音楽が生まれるのです。

 デュトワは、1977年から2002年までの25年間、モントリオール交響楽団の音楽監督を務めました。この時代、モントリオール交響楽団は、「フランスのオーケストラよりもフランス的なオーケストラ」と評されるようになりました。考えてみれば、これは非常に逆説的です。ケベック州を含めカナダのアイデンティティについて「フランスでも英国でも米国でもないのがカナダだ」と冗談交じりに語られているのですから。スイス人指揮者が、設立から20余年の若きオーケストラを率いて、フランスよりフランス的な音楽をつくり上げる。正にカナダ的です。評判が高まれば、それだけ世界中からより優秀な演奏家が集まります。それを受け入れ支え続けるモントリオールの地元コミュニティーの抱擁力もカナダ的です。世界中の幾多の若いオーケストラに希望と勇気を与えています。決して容易ではないが、良き監督を得て地元が支えれば、世界で肩をならべられるのだ、と。

 レコード芸術誌が選定した「クラシック不滅の名盤1000」には、デュトワ指揮・モントリオール交響楽団の録音が多数取り上げられています。1枚厳選すれば、1987年10月に地元の聖ユスターシュ教会で録音された「デュトワ・フレンチ・コンサート」がお薦めです。サン=サーンス、シャブリエ、ビゼー、サティ等々7人のフランス人作曲家を見事に料理しています。

3.ベートーヴェン「ザ・ジェネラル(司令官)」世界初録音

 デュトワが確立したモントリオール交響楽団の名声は、ケント・ナガノによって更に高められます。ケント・ナガノは、1951年11月カリフォルニア出身の日系3世です。ハレ管弦楽団、リヨン国立オペラ、ベルリン・ドイツ交響楽団の首席指揮者を務めた後、2006年、55歳の時に、モントリオール交響楽団の音楽監督に就任します。早速、最初のシーズンとなる2007年に「ベートーヴェン〜フランス革命の理想」と題する2枚組CDをリリースします。

 此処には、この後15年に及ぶことになるナガノとモントリオール交響楽団の蜜月の最初の瞬間が真空パックされています。斬新なアイデアを実践する意思と能力と情熱を持つ指揮者を得た時には、音楽の女神が降臨してオーケストラが持てる力を100%いやそれ以上発揮させるのだと確信させる名録音です。そのハイライトは、世界初録音となった『ザ・ジェネラル(司令官)』です。

 この作品は、ナガノの発案・委嘱によって制作された管弦楽、ソプラノ独唱、男女混声合唱、男声ナレーションを配したベートーヴェンの音楽です。ベースは、ゲーテの悲劇「エグモント」を基にした劇音楽「エグモント」作品84です。16世紀、スペイン圧政下でオランダの独立を求めて戦ったエグモント伯が主人公で1810年5月に初演されました。この名曲を現代最高峰との評判の台本作家ポール・グリフィスが脚色し再構成し、設定を1993年のルワンダ内戦と国連平和維持活動に置き換えたものです。此処に、ベートーヴェンの他の作品も加えて全16曲に再編されたベートーヴェン・ワールドです。

4.その先へ

 ケント・ナガノは、2020年まで、15年に渡りモントリオール交響楽団の音楽監督を務めました。この間、ベートーヴェン交響曲全集を録音。ナガノ時代に楽団は「フランスもの」のみならず、クラシックの王道を極めた訳です。2021年、ナガノは名誉指揮者に就任。後任は、ベネズエラ出身のラファエル・パヤーレです。1980年2月生まれで、新世代の最有望株との評価があります。

 今後のモントリオール交響楽団からは目が離せません。

(了)

山野内勘二
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身