180 おばあちゃんの「認知症」

~認知症と二人三脚 ~

ガーリック康子

 小学生の頃、毎年、夏休みになると、お母さんと飛行機に乗って日本のおばあちゃんの家に遊びに行ってた。

 日本の夏はとっても暑いけど、楽しいことがいっぱい。縁日にも行ったし、すごく近くで花火も見た。近くの田んぼでカエルを捕まえたり、カブトムシも採りに行った。日本語で勉強するのはちょっと大変だけど、日本の小学校にも行ったよ。夏だから体育の時間は水泳。学校にプールがあるなんてびっくり。でも一番好きだったのは「給食」の時間かな。毎日いろんなお料理が出て、全部すごくおいしいの。「給食」、カナダの学校にもあればいいのに。

 おばあちゃんと一緒に買い物に行くと、おやつを買ってくれた。すごく暑い日は、おばあちゃんがお小遣いをくれて、近くのお酒屋さんでアイスを買って食べた。晩御飯を作るのを手伝うこともあったよ。おばあちゃんが作るご飯はとっても美味しかったなあ。お母さんが作るより美味しかったかも…。おばあちゃんは、お裁縫や手芸も上手で、赤ちゃんの頃からお洋服を縫ってくれてた。時々しか会えないけど、おばあちゃんと一緒いるととっても楽しかった。お母さんより怒らないし。

 でも、8年生の頃には、夏休みになってもおばあちゃんに会いに行かなくなってた。代わりに、お母さんがひとりでおばあちゃんの家に行くようになった。おばあちゃんが病気だからって聞いてたけど、最初はどんな病気かよくわらなかった。「認知症」っていって、だんだん、いろんなことを忘れちゃう病気なんだって。体が動かなくなって寝たきりになったり、しゃべることもできなくなるんだって。私のことも忘れちゃうのかなって、すごく心配になった。

 お母さんが日本に行くのは1年に2回。一度行くと2ヶ月くらい帰ってこなかった。寂しいから、会えない代わりにメールをしたり、家族みんなでスカイプで話した。お母さんがいないから、お父さんがご飯を作ってた。お父さん、料理は上手なほうだと思うけど、一度凝り出すと、同じものを何度も作る癖があって困るの。お弁当はだいたいお父さんで、時々自分。洗濯は全部、自分でやる。部屋も自分で掃除する。それでも、お母さんがいない間は、なんとなく家の中が片付かないの。だから、お母さんが帰ってくる前になると、みんなで掃除と片付けが大変。

 しばらくして、冬休みになる前に帰ってくるはずのお母さんが、なかなか帰ってこなかった。おばあちゃんの具合がすごく悪いから、もう少し日本にいなくちゃいけないんだって。お母さんが帰ってきたのは、クリスマスが過ぎてからだった。

 春が来て、おばあちゃんが亡くなった。お母さんは、すぐに飛行機のチケットを取って、また日本に行った。おばあちゃんのお棺に入れる写真と手紙を一緒に持って行ってもらった。

 私が覚えてるのは、元気な頃のおばあちゃん。だけど、寝たきりで、すごく痩せて小さくなって、お母さんのことも、もう覚えてないかもしれないって言ってた。おばあちゃんのことで、お母さんが泣いてるところは見たことなかったけど、きっと私が知らないところで泣いてたと思う。年をとったら亡くなるのは仕方ないけど、おばあちゃんが亡くなって、お母さん、すごく悲しかっただろうなぁ。

 それからしばらく、お母さんは日本に行かなくなった。ずっと経ってからお母さんに聞いたら、日本に行くと、おばあちゃんがいないことを思い出しちゃうから、悲しくて行けなかったんだって。おばあちゃんが亡くなってから、もう10年近く経つけど、お母さんが日本に行ったのは1回だけ。お母さん、まだ悲しいのかなぁ…。

 「認知症」って、誰でもなるし、そんなに年をとってなくてもなる病気なんだって。ってことは、お父さんやお母さんがなってもおかしくないってことでしょ?だから、若い人でも「認知症」のことを知ってるほうがいいってことだよね。

ガーリック康子 プロフィール

 本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定。