第33回 遺言がないと、こんなに多くの人を巻き込む、巻き込まれる 〜 Let’s海外終活〜

終活は新しい大人のマナー

叶多範子

2月に入り、ミラノ・コルティナ冬季オリンピックが開幕しました。

世界中のアスリートが、この一瞬のために長い時間をかけて準備してきた姿に、胸を打たれます。あの舞台に立てるのは、才能だけではありません。積み重ねてきた準備があってこそです。

終活も同じです。元気なうちに、少しずつ整えておく。それが、いざというときに自分や家族を守ります。

今月は、実際にあったお話をひとつ、ご紹介します。

遺言がなかったことで、どれだけ多くの人が巻き込まれ、困ったのか。このケースを通して、「自分には大した財産もないから」という思い込みが、いかに危険かを知っていただければと思います。

実際にあったお話  Aさんの場合

両親はすでに他界。配偶者も子どももいないAさん。カナダで一人暮らしをしていました。「自分は大した財産もないから」そう思い、遺言は作らないまま82歳で亡くなりました。

Aさんには、日本に兄妹が3人いました。88歳のBさん、85歳のCさん、79歳のDさん。この場合、Aさんの遺産の相続人はこの3人です。

遺言がないため、相続手続きを進めるには、3人のうち誰か1人が代表者となり、カナダの裁判所で正式な手続きを行う必要がありました。この代表者は、Administratorと呼ばれます。

ところが、Bさん、Cさん、Dさんは全員日本在住。英語は話せず、メールも使えません。年齢や体調の問題もあり、カナダへ渡航するのは現実的ではありませんでした。

しかも、何人かは軽い認知症が始まりつつある状況。幸いにも日本語で対応してくれる現地の弁護士事務所は見つかりましたが、相続の話や難しい書類の内容を理解するのは、たとえ日本語であっても現実的にはとても難しい状態でした。

時差の関係もあり、弁護士事務所とのやりとりは主にメール。このままではとても対応しきれないことが容易に分かったため、結局、Bさんが代表者、そしてBさんの長男であるEさん(つまり亡くなったAさんの甥)が、やりとりの仲介役を引き受けることになりました。

Eさんは、日本で会社勤めをしている忙しい世代。仕事を休んでカナダへ渡航し、葬儀や片付けを行い、帰国後も弁護士から届くメールを確認。その内容をかみ砕いて親やおじ・おばに説明し、返事や希望をまとめて送る日々。思うように時間が取れず、やりとりが止まってしまうことも少なくありませんでした。

相続人である兄弟姉妹も、「遺産がもらえて嬉しい」そんな気持ちは、ほとんどなく、どちらかというと、面倒なことに巻き込まれてしまったという感覚が強かったそうです。

さらに、Eさんを含む甥や姪の世代からは、別の不安も聞こえてきます。

もし、この手続きの途中で、Bさん、Cさん、Dさんの誰かが亡くなったら。もし、認知症が進み、判断ができなくなったら。その場合、相続手続きはさらに複雑になり、長引く可能性があります。

実は、この状況のいくつかは、遺言があれば避けられました。

たとえば、遺言の中で遺言執行人を、信頼できる人に決めておく。Aさんの場合は、せめて甥のEさんにしておけばよかったかもしれません。高齢の兄妹ではなく、若い世代に頼む方が、長期的にも安心です。適任者が思い当たらなければ、専門家に相談して別の選択肢を検討しておく。そのうえで、遺産を誰が、どれぐらい受け取るのかをはっきり書いておく。

それだけで、高齢の兄妹が代表者になる必要もなく、甥や姪が間に入って苦労する場面は、かなり減ったはずです。

Aさん自身も、自分が遺言を残さなかったことで、まさか兄妹や甥の世代にまで負担をかけることになるとは、思ってもみなかったはずです。

遺言がないと、こんなにも多くの人を巻き込みます。そして巻き込まれます。

相続人が高齢だったり、すでに亡くなっていたり、認知症が始まっている場合、相続は簡単には進みません。

遺言は、お金持ちのためのものではありません。
金額に関わらず、残された人が困らないための、思いやりの書類です。

もしあなたが「自分には大した財産もないから」と思っているなら、このAさんの話を思い出してください。遺言は、あなたが元気なうちにしかできない、最後の贈り物です。

ここまで読んで、「じゃあ、遺言さえあれば大丈夫なんだ」と思われたかもしれません。

ただし、実はこのAさんのケース、遺言があったとしても、Eさんたちが困った場面がまだあったんです。

それは何か?

次回は、「遺言だけではなかった!?エンディングノートがあれば防げた、まさかの事態」についてお話しします。

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本コラムは終活に関する一般的な情報提供を目的としています。内容には十分配慮しておりますが、必要に応じてご自身での確認や、専門家へのご相談をおすすめします。なお、本コラムをもとに行動されたことによる不利益については、免責とさせていただきます。

「Let’s海外終活~終活は新しい大人のマナー」の第1回からのコラムはこちらから。

叶多範子(かなだ・のりこ)

グローバルライフデザイナー/海外終活アドバイザー。カナダ・バンクーバー在住。

カナダで親しい友人を突然亡くした経験から、「準備があることで、まわりの負担が減り、安心して暮らせる」ことを痛感。現在も相続専門の弁護士アシスタントとして実務に携わりながら、海外で暮らす日本人が将来の不安を少しずつ整理できるよう寄り添いながら活動している。

エンディングノートを通じて、終活を“死の準備”ではなく、これからの自分の人生を整える“私活(わたしかつ)”として紹介している。

家族はカナダ人の夫、2人の息子、愛猫1匹。
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