カナダで活躍する日本人薬剤師の物語 若子直也さん

 皆さん、こんにちは。

 2025年も残すところあと1週間となりました。今年は新しい試みとして、カナダで活躍する日本人薬剤師の皆さんを紹介してきました。多文化社会のカナダでは、さまざまな言語や価値観が混ざり合って暮らしていますが、やはり日本語で相談できる薬剤師の存在はとても心強いものです。

 また、私としては嬉しいことに、このコラムを日本から読んでくださり、実際に「カナダで薬剤師になりました」という方もいらっしゃると聞きました。

 YouTubeのような動画が主流の時代に、こうして活字を通してカナダ西海岸の日本人薬剤師の姿を伝えられること、そして国境を越えて日本人の患者さんと薬剤師のネットワークが広がっていくことを、とても素敵に感じます。

 さて今回は、ブリティッシュコロンビア州ビクトリアで薬局を運営されている薬剤師の若子直也(わかご なおや)さんをご紹介します。

若子直也さん
若子直也さん

 名古屋出身の若子さんは、もともとは薬剤師ではなく、サイエンティスト(科学者)を志していました。自宅近くに製薬大手ファイザー社の研究所があったことがきっかけで、当時としては比較的新しい分野だった分子生物学の世界に興味を持ったといいます。

 私や若子さんが学生だった頃の分子生物学の教科書は、他の科目に比べるとずいぶん薄いものでした。それでも、目には見えないながらも生命の根幹を形づくる学問として、そして薬物治療への応用が未知数であることにも惹かれ、若子さんはその可能性に夢中になっていきました。

 京都大学で薬学を学んでいた学生時代、そして大学院生として研究に打ち込んでいた頃の若子さんは、まさに“研究漬け”の日々を送っていました。昼夜を問わず実験に追われ、ライフワークバランスを失うほどの忙しさ。次第に「このままでいいのだろうか」と疑問を抱くようになったといいます。

 就職活動の際には、薬剤師としては少し異色の弁理士事務所の試験を受け、見事合格。それでも、どの資格が自立した生活につながるのかを考えたとき、若子さんが選んだのは薬剤師の道でした。

 薬剤師免許を取得し、大学院で修士号を修めた後、薬局勤務を経験。そこで直面したのは、薬を渡すことが中心で、患者さんとじっくり向き合う時間がほとんどないという、日本の薬局が抱える現実でした。当時は医薬分業が進められていたものの、実際の現場では薬の準備や監査など、対物業務に多くの時間を費やす状況に、強い違和感を覚えたといいます。

 次に目を向けたのは海外でした。留学経験があったわけではありませんが、学生時代にヨーロッパ旅行を経験しており、「もともと海外には興味があったんです」と若子さんは振り返ります。

 英語は「なんとかなる」と思いながらも、語学学校や短期留学のような“ホップ・ステップ・ジャンプ”というプロセスを経ず、日本から直接、トロント大学の外国人薬剤師向けブリッジングプログラムに入り、カナダの薬剤師国家試験の受験に備えました。

 当時はインターネットこそありましたが、今のように情報が充実していたわけではありません。ホームステイも語学学校も経ずに、いきなりカナダでの生活を始めるのは容易なことではなかったでしょう。それでも若子さんは、常に逆算思考で行動します。「カナダで薬剤師として働くにはライセンスが必要。ライセンスを取るためには試験があり、そのための勉強がある」。必要なステップを順に整理し、着実に準備を進めていきました。

 特にOSCE(実技試験)では、まず薬学英会話を重点的に磨き、その他の課題は後回しにすることで突破。常に合理的な戦略が功を奏しました。文化の違いに戸惑うことはほとんどなかったそうですが、これは単なる要領の良さではなく、柔軟に生き抜ける順応力の賜物だと思います。

 カナダでの最初の職場は、ビクトリアにあるPure Pharmacyの小さな薬局。その後、London Drugs、Rexall、Walmart(いずれもビクトリア市内)を経て、現在はPharmasave Westside Villageでマネージャーとして勤務しています。

 マネージャーとして一番大変なのは、リーダーシップとのこと。チームにはインド系・中東系など多様なバックグラウンドのスタッフが在籍し、労働倫理や時間感覚も人それぞれ。「みんなが同じ方向を向いて動いてくれるようにするのが、一番の課題です」。とはいえ、大きなトラブルはなし。「考え方が違うからこそ学びがあるんです」と、若子さんは前向きに語ります。

 「以前勤務した薬局で課されたメディケーションレビューの件数のノルマも苦手で」と苦笑する若子さん。しかも、メディケーションレビューの価値は、これまで考えられてきたよりも低いのではないか、そして今後は報酬体系の見直しが必要になるだろうと冷静に分析。現場を見つめるまなざしは、常に現実的です。

 一方で、ワクチン接種や薬剤師による処方(Minor Ailment)など、カナダの臨床薬剤師ならではの仕事にはやりがいを感じているそうです。職能の範囲には限界もありますが、必要に応じてドクターへの紹介も行います。「まだシステムとしては粗い部分もありますが、十分に患者さんの役には立っています」と話してくれました。

 若子さんと話していると、常に先見の明を感じます。今後、AI(人工知能)が薬局業務にどのように取り入れられていくのかを尋ねてみました。

 「AIが薬局業務に入ってきたとき、思考プロセスが言語化されやすくなると思います。でも、AIで置き換えられない部分はたくさんあります。特に『どうやって患者さんに薬剤師に相談してもらうか』という誘導は、人間にしかできません。人の流れをどう作るか。それを考えるのが、これからの薬剤師の仕事です。とのこと。若子さんは、AIと人の共存を見据えています。

 現在の薬局では臨床業務にやりがいを感じつつ、10年後にはリタイアしてパートタイムで働きたいと話す若子さん。プライベートでは料理好きで、「食を通じて社会に貢献したい」との思いも。日本では医食同源という言葉をよく使い、栄養バランスの取れた食事の重要性を伝えていましたが、カナダでは食育という文化はまだあまり根付いていません。その分野に自分の知識を生かしたいと語ります。

 また旅行も大好きで、これまでシンガポール、中国、タイ、メキシコ、そして日本への里帰りも欠かしません。異国で文化の違いに触れることを大切にしながら、明晰な頭脳で未来を見据え、ライフワークバランスを大切にする若子さん。料理と穏やかな暮らしを愛するその姿は、どこかカナダという国の気質にぴったりと感じられました。

 読者の皆さま、そしてこのコラムにご登場くださった薬剤師の皆さん、2025年も大変お世話になりました。どうぞご自愛のうえ、楽しいクリスマスと素晴らしい新年をお迎えください。

*薬や薬局に関する一般的な質問・疑問等があれば、いつでも編集部にご連絡ください。編集部連絡先: contact@japancanadatoday.ca

佐藤厚(さとう・あつし)
新潟県出身。薬剤師(日本・カナダ)。 2008年よりLondon Drugsで薬局薬剤師。国際渡航医学会の医療職認定を取得し、トラベルクリニック担当。 糖尿病指導士。禁煙指導士。現在、UBCのFlex PharmDプログラムの学生として、学位取得に励む日々を送っている。 趣味はテニスとスキー(腰痛と要相談)

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