大塚圭一郎

カナダ西部ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーと最大都市の東部オンタリオ州トロントの約4466キロを4泊5日で結ぶVIA鉄道カナダの夜行列車「カナディアン」の楽しみの一つは、客室乗務員がカナダの自然や文化、特産品などについて教えてくれるレクチャーだ。利用者が自由にくつろぐことができる中間車両「スカイラインドームカー」でのレクチャーは、日本では“御法度”の攻めたテーマも待ち受けていた。
▽言葉を失う山火事発生件数

2024年8月にバンクーバーから中部マニトバ州ウィニペグまで乗ったカナディアンは、山火事で焼け落ちた建物が無残な姿と化していた西部アルバータ州の保養地ジャスパーを通り過ぎた。スカイラインドームカーの2階のドーム状になったガラスから眺めた光景に心を痛めていると、追い打ちを掛けるように「アルバータ州では今も150カ所ほどで山火事が起きている」と聞いて言葉を失った。
声の主はアルバータ州内在住だという女性で、「まだ昼だけれども、きょうに入ってからも州内の3カ所で新たに発火したとさっきのニュースで知ったわ」と言う。有名保養地のジャスパーで被害が広がったため騒ぎとなったものの、山火事自体はカナダの大自然で決して珍しくないのだと改めてかみしめた。
次の停車駅はヒントン(アルバータ州)だ。この駅名を聞いた次の瞬間、私は2023年12月にトロントからバンクーバーへ乗ったカナディアンで、今回も乗り込んでいる客室乗務員、エミリー・ファラージさんの「寝台車プラスクラス」利用者向けのレクチャーを思い出した。
ファラージさんはスカイラインドームカーでのVIA鉄道に関するレクチャーで、カナディアンの運行態勢を「2人の機関士が乗務し、12時間おきに交代しています。安全運行のために労務管理は厳格にしています」と強調した。
安全対策強化に踏み出したきっかけとして挙げたのが、ヒントンで1986年2月8日午前8時40分ごろに起きた列車衝突事故だった。
この事故はカナディアン・ナショナル鉄道(CN)の118両編成の貨物列車が停止すべき位置を通り過ぎ、単線区間でVIA鉄道カナダの14両編成の大陸横断列車「スーパーコンチネンタル」(現在は廃止)と衝突して計23人が亡くなった。
ファラージさんは貨物列車が所定の位置で停止しなかった原因について「機関士の居眠り運転だったとの見方があります」と紹介。というのも、「当時の機関車の運転席にも居眠り運転などを防ぐための安全装置があったものの、機能していなかったのです」と話を続けた。
▽安全装置はなぜ働かなかったか
事故を起こした機関車の運転席の足元には、「デッドマンペダル」と呼ばれる安全装置があった。機関士は足でペダルを踏んでおく必要があり、もしも居眠りをしたり、意識を失ったりした場合には足がペダルから離れる。すると、数秒後に警報が鳴り、それでも反応しない場合には非常ブレーキがかかる仕組みだった。
しかし、この安全装置を用なしにしていたのが、機関士の間ではびこっていた悪習だった。ファラージさんは「事故当時は多くの機関士はデッドマンペダルを踏み続けるのが面倒だと感じ、警報が鳴るのを防ぐためペダルにレンガといった重りを置いていました」と明かした。
発生翌年の1987年に発行された事故の調査報告書は、デットマンペダルの安全装置としての機能が「しばしば無視されていた」と問題視した。ただ、事故を起こした列車の機関士が命を落とし、機関車も大破したため、ペダルに重りを置いていたかどうかの証言や物証は確認されなかった。

この大惨事を教訓に安全装置が見直された。ファラージさんは、カナディアンをけん引しているディーゼル機関車「F40PH―2」を含めた現在の機関車の運転席には「機関士が居眠りした場合などに検知できるように改良した安全装置があり、走行中に機関士からの反応がない場合には非常ブレーキがかかるようになっています」と解説した。
▽日本では“禁じ手”のテーマ?
列車の乗客に対してかつての大惨事をタブー視せずに説明し、現在の安全装置の情報も開示して理解を得る姿勢は、重要性が高まっている企業のアカウンタビリティ(説明責任)に沿った行動だと言えよう。それだけでも見上げたものだが、2024年8月に乗った時のファラージさんは日本の鉄道会社では“御法度”の攻めたテーマにも挑んだ。
なんと、欧米などで頻発している鉄道車両への落書きの手口について説明したのだ。その動機は「カナディアンに乗っていて貨物列車とすれ違うのを見て、貨車の落書きがどのようになされているのかが気になった方もいらっしゃると思います。私も気になり、調べてみました」というものだった。
落書きは日本ならば器物損壊罪、落書きための車両基地侵入は建造物侵入罪に問われる可能性がある違法行為だが、ファラージさんは犯人らが落書きを「芸術だと思っている向きがある」と解説した。北米では1960~70年代から(アメリカ東部)フィラデルフィアやニューヨークで目立つようになったという。

「カナディアン」に乗ってカナディアン・ナショナル鉄道(CN)の貨物列車とすれ違うと、文字や模様をスプレーで落書きされた貨車がつながれていることがある。
ファラージさんは「落書きをするのは2人以上のグループであることが多く、複数の場合はスプレーで車体に落書きをするのと、警備員が来た場合などに逃げられるようにする監視役と役割分担をしている」と手口を明かした。ただし、捕まって罪に問われる可能性があるのはもちろん、忍び込んだ電車の車両基地で感電死する犯人もいるなど、犯罪行為の代償は大きすぎる。
首都圏の私鉄大手幹部は「落書きは違法行為であり、落書きされた車両を運用できなくなれば利用者にも迷惑がかかるだけに言語道断だ」と指弾し、発生した場合は警察に即刻被害届を出すと強調する。その見解は100%正しいのだが、日本の場合は「臭い物にふたをする」と言わんばかりに黙殺し、落書きが発生しても鉄道会社が自主的に情報を開示することは少ない。
しかしながら、現実世界では鉄道車両への落書きが後を絶たないのも事実だ。「違法行為」で「言語道断」なのを熟知している良識ある人たちが聞き手ならば、落書きの手口を紹介しても模倣犯になるリスクはまずない。また、信頼感を持って話してくれる客室乗務員に対して「非倫理的だ」などと目くじらを立てることもない。
そのことをファラージさんはよく理解し、実践している。そんな思慮分別のある“大人の社交場”が、カナディアンの寝台車プラスクラス利用者向けのスカイラインドームカーでは見事に成立していた。
▽鉄板の人気企画、そのワケは

そして「開始時刻前に受講希望者が必ず何人も集まっている」という鉄板の人気企画が、カナダ産のワインや地ビールの試飲会だ。参加者は参加した動機について異口同音にこう語る。「(寝台車プラスクラスでは)アルコール類を注文すると有料だけれども、これに参加すれば無料だからね」
2024年8月に乗ったバンクーバー発トロント行きの列車では、ファラージさんがカナダ産ワインを紹介するレクチャーに参加した。この日は出発翌日の8月13日で、アルバータ州を走行中のスカイラインドームカーで開催された。
ファラージさんがワインの特色を説明後、参加者がプラスチック製のコップで試飲して「どのような傾向の味なのか」を推察する。その後でファラージさんが模範解答を伝えて「答え合わせ」をする。

この日紹介された3銘柄は、いずれも良質なワインの産地として名高いブリティッシュ・コロンビア州オカナガン湖畔のワイナリーの商品だった。私は2017年8月に現地のワイナリーを訪問したので、湖に生息されるとされる未確認生物(UMA)「オゴポコ」のように深い謎に包まれているというわけではない。それでも味わったことがないワインは多くあり、新たな知見を得られる貴重な機会となった。
トップバッターは、ワイナリー「レッドルースター」のワイン卸商品質同盟(VQA)の基準で認証された2022年産白ワイン「ソーヴィニヨン・ブラン」だ。口にふくむと柑橘系の風味を感じた通り、「パパイヤやグレープフルーツの香りが特徴」ということだった。

次にファラージさんがボトルを見せたのは、ワイナリー「ウェイン・グレツキー・ナンバー99」の2022年産の白ワイン「ピノ・グリジオ」で「洋なしやリンゴの味だと評されています」という。このワイナリーは、「アイスホッケーの神様」とたたえられた北米ナショナル・ホッケー・リーグ(NHL)の元スター選手、ウェイン・グレツキー氏から名前を取っている。
ワインのラベルにはグレツキー氏のサインが印刷されており、ワイナリーに付けられた「ナンバー99」は同氏の現役選手時代の背番号「99」に由来する。この「99」はNHLの永久欠番になっており、いかにずばぬけた選手だったのかを物語る。

私はカナダを訪問する際にはアイスワインを買って帰るのが定番で、ウェイン・グレツキー・ナンバー99の商品を買うこともしばしばある。それだけに、ファラージさんが「ウェイン・グレツキー・ナンバー99からはもう一つご紹介したいワインがあります!」と声高らかに宣言し、アイスワインを振る舞うのではないかとひそかに夢想した。
かすかな希望とは裏腹に、登場したのはグレイモンクの2021年産赤ワイン「メルロー」だ。「プラムやベリーのような風味で、好き嫌いが結構分かれます」とファラージさんは解説したが、飲み心地は決して悪くなかった。
それでもアイスワイン登板への淡い期待が裏切られた私にとっては歓迎する“選手交代”ではなく、やや後味の悪い結末だった…。
【F40PHシリーズ】アメリカの大手自動車メーカー、ゼネラル・モーターズ(GM)の機関車部門だったEMD(現在はアメリカ建設機械大手キャタピラーの部門)などが製造したディーゼル機関車。足回りは2軸台車を2基備えている。
1975~98年に500両超が製造され、全米鉄道旅客公社(アムトラック)などの北米の鉄道会社が導入した。VIA鉄道カナダは87~89年に造られた「F40PH―2」を53両保有し、運行を続けている。VIA鉄道の機関車は最大出力が3千馬力のディーゼルエンジンを搭載し、設計上の最高時速は145~153キロに達する。

共同通信社元ワシントン支局次長で「VIAクラブ日本支部」会員の大塚圭一郎氏が贈る、カナダにまつわる鉄道の魅力を紹介するコラム「カナダ “乗り鉄” の旅」。第1回からすべてのコラムは以下よりご覧いただけます。
「カナダ “乗り鉄” の旅」

大塚圭一郎(おおつか・けいいちろう)
共同通信社経済部次長・「VIAクラブ日本支部」会員
1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科を卒業し、社団法人(現一般社団法人)共同通信社に入社。2013~16年にニューヨーク支局特派員、20~24年にワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。24年9月から現職。国内外の運輸・旅行・観光分野や国際経済などの記事を多く執筆しており、VIA鉄道カナダの公式愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員として鉄道も積極的に利用しながらカナダ10州を全て訪れた。
優れた鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅(てつたび)オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を2013年度から務めている。共同通信と全国の新聞でつくるニュースサイト「47NEWS(よんななニュース)」や「Yahoo!ニュース」などに掲載されている連載『鉄道なにコレ!?』と鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」(https://www.47news.jp/column/railroad_club)を執筆し、「共同通信ポッドキャスト」(https://digital.kyodonews.jp/kyodopodcast/railway.html)に出演。
本コラム「カナダ“乗り鉄”の旅」や、旅行サイト「Risvel(リスヴェル)」のコラム「“鉄分”サプリの旅」(https://www.risvel.com/column_list.php?cnid=22)も連載中。
共著書に『わたしの居場所』(現代人文社)、『平成をあるく』(柘植書房新社)などがある。東京外大の同窓会、一般社団法人東京外語会(https://www.gaigokai.or.jp/)の広報委員で元理事。


























