
広島で8歳の時に被爆した経験を持ち、現在はブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーで暮らすランメル幸さん。広島・長崎への原爆投下から80年を迎える今年、カナダを拠点に、自身の体験を伝えるため各地で講演活動などに取り組んでいる。
「平和の種をまくことしかできないけれどそれでも伝え続けたい」と語る幸さんに、戦争を知らない世代へ込めた思いなどを聞いた。
福島第一原発事故発生「黙っているよりも話をする必要が」
1945年8月6日、原爆が投下された時、爆心地から約3.5キロメートル離れた小学校の校庭で遊んでいた。当時8歳、「ちょうど大きな木の陰にいたため奇跡的に助かりました」と当時を振り返った。しかし、友人と帰宅途中には黒い雨に打たれ、放射能の被害を受けたという。この時に浴びた黒い雨のことは今も鮮明に記憶している。
その後、日本に留学していたカナダ人のチャールズ・ランメルさんと結婚、カナダへ移住したのは1970年代。長く自身の被爆体験を公には語ってこなかったが、転機となったのは2011年の福島第一原発事故だった。テレビのニュースを見て驚き、核の脅威を再び強く感じて「もう黙ってるよりもこの話をする必要がある」との思いを強くしたという。
活動は、カナダの日本語日系月刊誌「ふれいざー」での連載執筆から始まり、被爆体験やその後の半生をまとめた手記の英語版「Hiroshima-Memories of a Survivor」(日本語版「忘れないでヒロシマ」南々社)を出版。被爆体験と平和への強い思いを世に伝える第一歩となった。その後、活動はカナダ、日本へと広がり、学校や地域団体などで講演している。
活動を始めてから起きた最も大きな変化は「視野が広がったこと」だったという。それまでは小さな世界にとどまっていた感覚から「世界に目を向けるようになった」と繰り返した。もっと大きな視点で物事を見られるようになったと話す。

幸さんの被爆体験を語り継ぐ活動は、夫チャールズさんの存在が大きな支えとなっている。福島県で7年間暮らしたチャールズさんは、幸さんと共に講演の場で東日本大震災による福島第一原発事故や世界の原発事故について語る。「彼はおしゃべりだから」と笑いながらも、講演前には自宅でチャールズさんが日本語の練習をしているのを見かけることや、時に自分の原稿を翻訳してもらうことがあると話し、「一人でここまでやるのは無理だったわね」と穏やかな笑顔を見せた。
「直接話を聞けたことは奇跡みたい」
幸さんは現在、英語で被爆体験を語っている。英語で話すことには難しさを感じると言いながらも「日本語のアクセントがあるから、かえって皆さん分からなくて一生懸命聞いてくれるんですよね」と笑う。
ノースバンクーバーの図書館で行った講演会では、定員を大幅に上回る人が集まり、大きな反響を呼んだ。ホロコースト(第二次大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺)の経験を持つ人たちも参加し、幸さんの証言に涙を流しながら自らの記憶を語り始める場面もあったと話す。参加した子どもたちからは「『生きて直接話を聞けたことは奇跡みたい』って。それをよく聞きますね。健康で良かったねとか、カナダに来てよかったねって言ってくれますよ」と素直な反応があるという。
講演会で使用した資料や配布物、参加者から寄せられた手書きの感想文を今も大切に保管している。そこには語りかけられた言葉がしっかりと受け止められていることが表れている。
広島を拠点とする特定非営利活動法人(NGO)「ANT-Hiroshima」での講演には、世界各国の子どもたちが参加した。ベトナム出身の参加者は「広島で原爆に遭われた方々の話を聞くたびに、胸が締め付けられるような悲しい気持ちになります」と語り、フランス出身の参加者は「黒い雨のしみが服に残るように、戦争の傷跡は決して消えることはありません。この物語を通して、私たちは過去の出来事を忘れず、平和の大切さを考え続けるべきだと思います」と感想を寄せていた。
一方で、カナダと日本の平和教育の違いについては「カナダは平和な国でしょう。だからかあまり戦争に対する意識が強くないんじゃないかなと思う」と言う。「それと移民で(来た人は)皆さん忙しいから生きることにいっぱいだと思うのね。来て若い時は生活も大変でしょうし」と語り、でも「やはり(イベントには)若者にもうちょっとたくさん聞きに来て欲しい」と期待した。
80年、世代を超えたメッセージへの希望
2025年、広島への原爆投下から80年の節目を迎える。幸さんは被爆者の高齢化が進む中で、直接体験を語れる人が年々少なくなっている現実に「今、自分が語る意味は大きい」と話す。戦争の記憶が薄れていくことへの危機感とともに「やっぱり(カナダで)聞きに来るのは年を取った方が多いんですよね」と語り、「これからの時代は若者に告げていかないといけない」との強い思いを抱く。
そうした思いから始めたのが、紙芝居「サチズストーリー」の制作。8歳の少女の視点から原爆の悲劇を描いたもので、視覚的に伝えることで子どもにも理解しやすく構成されている。紙芝居を選んだ理由については「これからは若い世代へのインパクトが必要だから」と話した。
小学校など子どもがいる講演の場では、話を聞いて泣き出してしまう子もいると言い、そうした姿を見て、子どもたちが戦争の悲惨さをまっすぐに受け止めていることを実感する。だからこそ、子どもの目線に立った表現の工夫が必要だと感じ、紙芝居という手法を選んだ。紙芝居は現在、英語版の制作も進めていて、アメリカやカナダの学校で教材として活用されることを目指している。
「平和っていうのは考えれば考えるほど難しいと思う」と幸さん。それでも、原爆投下後、黒い雨が降ったあとに虹が出たという話を聞いたといい、「私は見られなかったけれど、聖書によると虹は神様の平和のしるし。あの時の虹は、将来きっと良い世界になりますよというサインのように思えた」と話した。
「私は種をまくくらいしかできないって、いつも言ってるんですけどね。それでもやっぱり私は教育も大切だと思う」。その言葉には小さな一歩でも未来につながるという信念が込められている。「それから国のリーダーの人もちゃんとしたリーダーがいないといけない。それと世界との調和を図ること」とまっすぐな眼差しで訴えた。
そして最後に、原爆のことを「忘れないでほしい」と静かに語った。その姿には次の世代に平和を託す強い思いがにじんでいた。
ランメル幸さん講演会
8月15日、ダウンタウンで開催される「戦後80年・記念イベント『静かに考える戦後80年 癒しのコンサート』」と題したイベントで講演する。詳細はリンクを参照。https://www.japancanadatoday.ca/2025/07/21/shusen-80th-year-event/
(取材 田上麻里亜)
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