おれ伝/伝言館/映画マイプレイスー保養という選択他:15回目の311が過ぎて思うこと

おれたちの伝承館:福島県南相馬郡小高区南町2-23。写真提供 橋爪亮子
おれたちの伝承館:福島県南相馬郡小高区南町2-23。写真提供 橋爪亮子

橋爪亮子

 旧ブレテン(モントリオール)に過去数回311周辺に寄稿させていただいご縁がありました。

 東日本大震災の被災各地では慰霊祭が執り行われ、東京の代々木公園では15年脱原発集会が8500人参加で、3月21日の「原発のない福島を」を合言葉にした(福島)県民集会は1100人参加だったそうです。日本外国人特派員協会ではChallenging the Narrative: Thyroid Cancers in Fukushimaと題した311子ども甲状腺がん裁判弁護団長井戸健一弁護士と牛山元美医師の記者会見がありました。この裁判は震災当時子供だった8人が原告となっています。震災当時福島県内居住者の18歳以下で統計から漏れている人も含め、現在412名が甲状腺がんと診断されています。

 震災から15年目にして海岸で見つかった遺骨がDNA鑑定により行方不明の我が子と判明したり、宮城県の大川小学校(児童教員74人が津波で死亡)で子を亡くした親が語り部となったといったニュース、そして私の出身地でもある福島県いわき市からは3月11日の卒業祝いの給食用のお赤飯を破棄というニュースがありました。

 15回目の3月11日をどうとらえ、認識、記憶していくのか。原発災害においてはまだ終わっていないという声があり、実際、原子力緊急事態宣言は発令中で、その通りとも思います。

 誤解も生みそうですが、特定の日や過去の出来事にある意味を持たせ、行動や思考や祈りを自然のことのように促してしまう、あるいはそれを意識すべきだと思わせてしまうような発信をすることをしたくない気持ちがあります。

 と、そう書きながらも、3月11日は個人的には蝋燭を灯し、オンライン朗読と小さな祈りの会をしました。あの日に東北被災三県(岩手、宮城、福島)で誕生した生命は104あり、朗読したものはその中の数名の親の手記でした。誕生日も命日も原爆投下日も建国記念日も元日もある1日です。

 記憶や痛み、歓喜や感動、主義や信条も持ち続けることは容易ではないと思います。もちろん忘れるという贅沢が許されない人たちがいるという2000年当時の国連事務総長のKofi Annan氏がチェルノブイリ原発事故の悲劇について言ったように。

 世界各地から日々沢山のニュースが溢れ情報戦の有様です。当事者と、その渦中の人々や場所と直接つながる人々。自分の生活とはかけ離れた出来事としてしか受け止められない現実。かけ離れているように見えて、共通項や、痛みを感じること。またそれらを超えた世界や現象の捉え方もあるように思われます。

  個人が経験し、知覚、認識し、体感、記憶し続ける事柄は限られていると思います。見える情報やデータとしてではなく、より深いところに届き、私たちはなんなのかという本質に気づかせるツールや時間が今、必要なのかもしれないと思います。それは、一人自然の中にいる時間かもしれませんし、人との対話かもしれませんし、ゆったりお風呂につかる時かもしれませんし、音楽や文学などの芸術に触れた時かもしれません。あるいは、それらさえも必要なく、1日を一瞬を感謝し悔いないように生きることだけかもしれないとも。同じく唯一の人生を生きている他者や人間以外の生き物や偉大なものと時空を超えてつながった先にある生命と現象への慈愛と受容が希望への鍵のような気持ちがします。

 今月、オンラインと対面ハイブリットの上映会とトーク「マイプレイスー保養という選択」(2025年)をオンライン視聴しました。福島県や関東からの子ども受け入れの保養プログラム ‘せとうち交流プログラム’ の昨年の様子を撮ったものです。保養プログラム設立者で自身も震災後岡山県へ母子避難をしてきた蝦名(えびな)宇摩さんと彼女のパートナーでもある渡辺嶺也監督がゲストの上映後トークは東京の隣町珈琲というブックカフェで興味ぶかいものでした。

 蝦名さんは奄美大島にあった共同体で育ち、津軽三味線奏者でもあり、渡辺監督は国際開発支援分野でアフリカにいた経験があり、普段はパン屋の裏側を撮影、二人とも面白いバックグランドを持っています。ファシリテーターはこの映画のプロデューサーであり、核をめぐる3部作「ヒバクシャー世界の終わりに」「六ヶ所村ラプソディー」「ミツバチの羽音と地球の回転」、2017年にモントリオール上映会をした原発事故後の福島県の親子を撮った「小さき声のカノン」等を撮った鎌仲ひとみ監督でした。

 保養運営側も来てくれる人がいるからやめられないという現実もあるでしょうが、他人の喜びを自分の喜びとして続けていることが感じられます。

 子どものきらきらとした表情、瀬戸内の海や山での遊びと学び、親の普段は口にしづらい言葉、身体と心の緩みも伝わってきます。ご飯、台所や地元のボランティアの人たちや裏方の場面も。

 5泊6日のこの保養キャンプがあるからこそ、他の360日を生きていけるといった親の言葉にはなんともいえない気持ちになりました。

 保養にきている子どもは原発事故後に生まれたいわゆる2世です。

 この映画は東京ドキュメンタリー映画祭2025で準グランプリと観客賞を受賞しています。3.11福島を忘れないをテーマに2012年から続けられている東京の手作りの江古田映画祭で来年はこの映画が上映されそうです。ぶんぶんフィルムズ配給で自主上映も可能です。https://rb.gy/jewk6c

 福島県は、日本で北海道、岩手に次いで3番目に面積が広く、東西に166キロ、浜通り、中通り、会津の3地方に分かれています。

 Sayonara Nukes Berlinのウェブサイトで共有された武藤類子さんのメッセージにもある福島イノベーション・コースト構想は原発のある浜通り地方です。2020年開館の立派な東日本大震災/原子力災害伝承館があります。今年はその近くにホテルも開業予定です。

おれたちの伝承館:福島県南相馬郡小高区南町2-23。写真提供 橋爪亮子
おれたちの伝承館:福島県南相馬郡小高区南町2-23。写真提供 橋爪亮子

 私はこの機会に、同じ浜通りにありながら、上記のような公的な施設とは別の手作りの施設について共有します。南相馬市小高の「おれたちの伝承館(通称おれ伝)」と双葉郡楢葉町の宝鏡寺境内の「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館(通称伝言館)」です。両方とも設立者とそれを支える賛同者と訪れる人の尽力と応援によって成り立っています。

 おれ伝は写真家中筋純氏が館長の2023年に設立した震災と原発事故の記憶をアートで伝える美術館です。中筋氏は2007年からチェルノブイリの写真を撮り続けてもいます。今はほぼ南相馬の住民になっているようにも見受けます。留守の場合もありますが、現在は南相馬に移住し、常駐してくれるボランティア佐々木さんがいます。2025年3月に「おれでん文庫」と放射線測定室もオープンし、この3月11日には敷地にHiroshima, Nagasaki, Bikini, Chernobyl, Three Mile Islandのサインのもとに、広島でひばくしたイチョウ2世の苗を地元小高小学校の6年生児童とそのほか70名で植樹したそうです。展示の入れ替わりもあり、イベントも開催しています。私は数回訪れています。開館日をウェブサイトで確認後におでかけください。時には地元の人が来て、1時間、2時間と自分の話をしていかれることもあるそうです。特別な場所になりつつあるこの場所を私は設立当時から応援しています。

 ここで双葉町にあった冨沢酒造が、アメリカシアトル郊外でShirafuji Sake Brewery companyとして酒造りを再開していたことを知りました。北米で宣伝してあげてくださいと言われました。アメリカにお知り合いがいる方へ伝えてくださったら幸いです。https://shirafuji.com/story/

ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館。楢葉町宝鏡寺:福島県双葉郡楢葉町大谷寺下91。写真提供 橋爪亮子
ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館。楢葉町宝鏡寺:福島県双葉郡楢葉町大谷寺下91。写真提供 橋爪亮子

 「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館(通称伝言館)」は浄土宗宝鏡寺の(故)早川篤雄住職が私財を投じて2021年に開館された平和資料館です。早川住職は2022年に亡くなりましたが彼の遺志を継いだボランティア丹治杉江さん他により維持されています。膨大な資料や物品の他、よい庭にはアンネの薔薇、原爆の火、「原発悔恨・伝言の碑」、みごとな桜もあります。丹治さんは避難先の群馬県から伝言館を引き継ぐためにいわき市に戻った人です。同じ浜通りでもいわき市もひろく、丹治さんは自宅から車で高速道路も含め1時間近くかかりますので常駐ではありませんが、伝言館はいつでも開いています。私が行った時はタイミングよく団体のお客があり、隣接の未来館でその団体と一緒に沢山の資料もいただき、丹治さんの話を聞くことができ幸いでした。伝言館・未来館の友の会のシステム(年間費)もあります。

ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館。楢葉町宝鏡寺:福島県双葉郡楢葉町大谷寺下91。写真提供 橋爪亮子
ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館。楢葉町宝鏡寺:福島県双葉郡楢葉町大谷寺下91。写真提供 橋爪亮子

 浜通りは新幹線の通る中通りと違い、行きづらく、原発もあり、是非行ってくださいとは大きな声では言わないほうがよいのでしょう。   

 実際私が帰省中に地震があり、携帯電話のけたたましい地震速報アラームで飛び起き、収束作業中の福島第一原発のことを思うと、背筋がすーと寒くなりました。福島第一原発で毎日作業員も沢山働いていますし、もう地震にも慣れたという人もいます。

 でも、特に旧避難区域の市町村には移住支援や企業支援金等の助成金制度もあり、避難元から戻る人(少数)のほかに県外からの移住者も日々の暮らしを営んでいます。山や海の景色はそのままの場所もそうでない場所も、震災の跡があり、複雑な現地の実情の片鱗でも実際見て感じてもらえたらと思います。ご興味がある方、佐伯さんを通じて私に連絡をくだされば、日程にもよりますが私の知人を通じ案内のアレンジが可能かと思います。

 話が飛びますが、東日本大震災のあった日は、ポーランド人友人がモントリオールに滞在中で、チェルノブイリ原発事故後に安定ヨウ素剤を飲んだことを話してくれました。現在スイス在住の彼女が、この3月11日に聞いたスイス発ポッドキャストは横浜から福島県に移住した子どもをつれた夫婦のインタビューだったとWhatsAppメッセージで伝えてきました。内容は福島の方が経済的で、家が広く、安易に仕事が見つかり、仕事と家庭のバランスがとれ、子どもとの過ごす時間が多くなった等の希望の話でした。その家族にとってはきっとそれが真実で、感謝で生きているのだとも思います。そのような語りの方がより伝わるようになっている昨今とは思います。

 Bulletin of the Atomic Scientistの記事には、私が知る人も数名取材に応じており、長くて英語ですが、丁寧に書けているので興味ある方は読んでみてください。

参考資料

Fukushima at 15 ―
Living with radioactive hot spots and stigma as Japan’s government pushes for more reactors (Bulletin of the Atomic Scientist, March 9, 2026) https://thebulletin.org/2026/03/fukushima-at-15-living-with-radioactive-hot-spots-and-stigma/

おれたちの伝承館 https://suzyj1966.wixsite.com/moyai

伝言館 https://touhoku-ohenro.jp/junreiti_detail.php?id=134

東日本大震災から15年:被災地と福島第1原発の現状 (Nippon.com, 2026年3月16日)https://www.nippon.com/ja/japan-data/h02705

Press Conference: Challenging the Narrative: Thyroid Cancers in Fukushima https://www.fccj.or.jp/event/press-conference-challenging-narrative-thyroid-cancers-fukushima

甲状腺検査の利益めぐり応酬〜福島「県民健康調査」検討委員会(OurPlanet-TV, 2026年3月25日)https://www.ourplanet-tv.org/52594/

原子力市民員会(CCNE: Citizens’ commission of Nuclear Energy)『見ればわかる 知れば変わる ─ 福島原発事故 15 年の現在地』」https://www.ccnejapan.com/reports/20401

ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館。楢葉町宝鏡寺:福島県双葉郡楢葉町大谷寺下91。写真提供 橋爪亮子
ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館。楢葉町宝鏡寺:福島県双葉郡楢葉町大谷寺下91。写真提供 橋爪亮子
ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館。楢葉町宝鏡寺:福島県双葉郡楢葉町大谷寺下91。写真提供 橋爪亮子
ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館。楢葉町宝鏡寺:福島県双葉郡楢葉町大谷寺下91。写真提供 橋爪亮子