「ゴードン・ライトフット」音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第43回

はじめに

 音楽ファンの皆さま、日加関係を応援頂いている皆さま、遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。

 2026年がスタートして早くも3週間が経ちました。新年早々のトランプ政権のベネズエラへの軍事攻撃と大統領拘束は、世界に衝撃を与えました。一気にお屠蘇気分が醒めた人も多いと思います。我々は歴史の転換点に生きているのではないかと感じる今日この頃です。後世の歴史家が2026年1月をどのように位置付けるのか興味が尽きません。

 それはさて置き、日々の生活は続きます。陰に陽に国際情勢の影響を被りながらも、2026年が、読者の皆様にとって健やかな年となるように祈念しつつ、皆様の更なる御活躍と御健勝を願っております。

 新年のご挨拶はこれぐらいにして、音楽です。

 今月は、カナダの伝説的シンガー・ソングライター、ゴードン・ライトフットです。彼が2023年5月1日に逝去した際には、カナダ最大の新聞グローブ&メール紙が特集を組みました。ジャスティン・トルドー首相も公式コメントを発出しました。曰く「カナダの最も偉大なシンガー・ソングライターの一人で、その訃報を深い悲しみをもって受け止めている。彼の作品はカナダの精神を捉え、国の音楽的伝統を形成した。カナダの音楽的遺産として永遠に残るであろう。」

 正に、カナダの国民的な歌手が追悼される様子を目の当たりにしました。

最初の出会い

 私がゴードン・ライトフットという名前を知ったのは、長崎県の地方都市・佐世保の中学1年生の頃でした。当時は、多くの同級生と同様に「オールナイト・ニッポン」や「こんばんは、落合恵子です」等の深夜放送に完璧にハマってしまいました。午前1時から始まる「オールナイト・ニッポン」を聞くと、翌朝は、睡眠不足で大変でしたが、深夜放送で流れてくる洋楽(現在は死語ですね)に胸が震えました。そんな洋楽アーティストの一人がゴードン・ライトフットでした。

 彼の代表曲“心に秘めた想い(原題: If You Could Read My Mind)”は、田舎の中学生をノックアウトしました。SONY製のTHE11という当時最新の3バンド・ラジオで聴く異国の歌は今も胸の奥で鳴っています。実は、歌詞は全く分かりませんでした。仮に英語が出来ていたとしても、恋愛の機微や男女の想いのすれ違いのニュアンス等は全く理解できなかったに違いありません。ですが、アコースティック・ギターが奏でるアルペジオの響きと語りかけるような歌声、何よりも美しい旋律に魅了されたのを鮮明に憶えています。それにしても、英語の微妙なニュアンスを示す素敵な邦題ですね。最近は、原題を単にカタカナ表記するものばかり。当時の洋楽ディレクターは偉かったですね。

 と言うものの、中学生の頃は、ゴードン・ライトフットがカナダ人ということは全く知りませんでした。というか、洋楽のアーティストの国籍には、ビートルズとサイモン&ガーファンクルを除いて、無頓着な田舎の少年だったのです。

 そして、高校生になる頃には、私の関心はよりハードでプログレッシブなロックに移っていきました。ジャズも聴き始めました。フォーク・ミュージックを基調とするゴードン・ライトフットのようなシンガー・ソングライターの音楽からは離れて行きました。

ゴードン・ライトフット再発見

 齢を重ね、様々な音楽体験を経て、ゴードン・ライトフットを再発見したのは、私がオタワに着任してからです。正直に言えば、カナダは8000km余の国境で接する米国の圧倒的な影響下にあるに違いないと私は思い込んでいました。しかし、着任直後から、米国とは異なるカナダの文化やスタイルを実感するようになりました。そんな中で、改めてゴードン・ライトフットの音楽に触れた訳です。

 放蕩息子の帰還ではありませんが、刺激溢れる前衛の音楽を浴びた後で聴くゴードン・ライトフットのナチュラルな音楽は胸に沁みました。虚飾もギミックも無い素顔の歌。しなやかさと優しさの中に潜む力を感じさせます。カナダという国の個性が彼の歌に滲み出ているようです。

 その頃の最新音盤が「ソロ」でした。前作「ハーモニー」から16年ぶりの新譜で、20枚目のスタジオ録音盤。ちょうど新型コロナの感染爆発が拡まった2020年3月にリリースされました。81歳のゴードン・ライトフットが現在進行形で刻まれています。全10曲は全て自身の作詞作曲で、表題どおり生ギターだけの弾き語りです。シンプルこの上ありません。若い頃の声と比べれば、加齢によるスモーキーな濁りはありますが、明瞭なバリトンの美声は十分に維持されています。何よりも、ライトフット節と呼ぶべき、美しい旋律が健在です。最近の音楽業界では、リズムを強調したラップ・ミュージック全盛という感がありますが、ここには本物の歌が息づいています。

 しかし、誠に残念ながら、最新盤「ソロ」が遺作となってしまいました。

訃報と弔辞

 2023年5月1日、ゴードン・ライトフット逝去は、多くのファンに深い悲しみを与えました。自然死と発表されたので、彼の寿命だったのかもしれません。ですが、84歳にして現役で、コンサート・ツアーも予定されていました。天国に召されるには若過ぎました。

 そして、訃報に接して、多くの大物ミュージシャンが心のこもったメッセージを発出しました。ゴードン・ライトフットの音楽が如何に素晴らしく人々の胸に沁みていたのかを如実に伝えています。

「セルフポートレイト」ボブ・ディラン
「セルフポートレイト」ボブ・ディラン

 ボブ・ディランは「ライトフットの曲に嫌いな曲なんて思いつかないね。かれの曲を聴くたびに、永遠に続けばいいのにと思うような感じだ…ライトフットは長い間、俺にとって師匠(mentor)だった。たぶん今もそうだと思うよ」と自身のウェブサイトで表明しています。実際、他人の曲をカバーすることの殆どないディランですが、1970年の傑作「セルフポートレイト」には、ライトフットの曲“Early Morning Rain”を収録しています。

 ビリー・ジョエルは、自身のインスタグラムに“If You Could Read My Mind”をピアノで弾き語っている動画をあげ、追悼の意を示しています。古今東西の名曲は、如何なる編曲で奏でられても素晴らしいものです。ビリー・ジョエルのヴァージョンは、曲の骨格を見事に浮き彫りにし、美しさを際立たせています。ピアノの名手のジョエルならではです。フレッド・シュルアーズ著「イノセントマンーービリー・ジョエル100時間インタヴューズ」には、ゴードン・ライトフットの歌唱法から影響を受けたことが記されています。また、やんちゃな若き日のアシッド・トリップで、激しくラリった後で、ゴードン・ライトフットを聴いて心の安寧を取り戻した旨の記述もあります。かつてラジオ番組で、ライトフットに会いたいとも語っています。

 また、同郷のシンガー・ソングライター達も胸に残るコメントをしています。ニール・ヤングは「カナダは偉大な詩人を失った」と述べました。ジョニ・ミッチェルもライトフットを「ソングライターの中のソングライター」と評し、彼の曲の物語性と旋律美に敬意を表しました。ブライアン・アダムスは「私たち全員の道を切り拓いた」と強調しました。

 実は、ブライアン・アダムスのこのコメントは、シンガー・ソングライターの世代についての極めて的確な指摘です。と言うのも、ゴードン・ライトフットは、1960年代後半から顕著な活躍を示す一連のシンガー・ソングライター達よりも数年早く誕生し、いち早く音楽活動を開始し、道を切り拓いたパイオニアだからです。

音楽の旅路〜前哨戦

 ゴードン・ライトフットは、1938年11月、オンタリオ州南部のシムコー湖畔の街オリリアに誕生しました。ここは、4000年前から先住民のヒューロン族やイロコイ族が暮らしていました。いわば、カナダの心の故郷とも言うべき街です。両親はスコットランド移民の家系で、クリーニング店を経営していました。

 そして、母親ジェシーが未だ幼かったゴードン少年の素質を見抜いたといいます。地元の聖パウロ合同教会の聖歌隊に入ると、音楽監督を勤めていたレイ・ウィリアム師から音楽の基礎を教わります。当時を振り返って、ライトフットは、心の内に湧き上がる様々な感情を如何に歌に反映させるかについて実に多くの事を学んだ旨述べています。三つ子の魂百までということでしょうか。

 そして、ライトフットは聖歌隊で活躍します。地元のラジオ局の番組でオペラやオペレッタの楽曲を歌うようになります。12歳の頃のことです。変声期前のボーイソプラノでコンクールに出場し、見事に優勝しました。その副賞がトロントの音楽の殿堂マッセイ・ホール(連載第18回参照)でのコンサート出演でした。ライトフットは、その生涯でマッセイ・ホールで170回も公演していますが、これが初のマッセイ・ホール体験です。

 母親の眼力はさすがです。その後、ピアノ、ギター、ドラム等の楽器も独学でマスターしていきます。やがて、聖歌隊の世界だけでは満足できなくなります。19世紀の米国の作曲家、ステファン・フォスターの音楽に傾倒していきます。フォーク・ソングやカントリー・ミュージックを歌うようになります。高校生になる頃には、避暑地として有名なオンタリオ州ムスコカ(2010年のG8サミットも開催された街)でも観光客を前に様々な場で歌うようになります。

 高校を卒業すると、ライトフットはロサンゼルスのウエストレイク音楽院に進学します。ここでは、ジャズ、作曲、編曲を専攻しました。ライトフットの音楽の幅が一段と拡大します。そして、いよいよ、職業的音楽家への道が拓きます。

飛翔

 2年間のロサンゼルス留学を終えて、ライトフットはトロントに戻ります。1960年のことです。本当は音楽業界の中心ロサンゼルスで名乗りをあげたかったに違いありません。ある種、夢破れた傷心の帰郷だったのかもしれません。しかし、ライトフットは、苦さも甘さも学んだ上で、地元トロントで歌手として本格的な活動を開始します。最初はフォーク/カントリー系のコーラス・グループに参加して頭角を顕します。地元レーベルからシングル盤もリリースします。が、この段階ではトロント圏内の新人でした。

 転機は、1963年に訪れます。1年間にわたり、ロンドンに遠征し、BBCテレビのカントリー番組のホストを勤めます。その間、人気デュオ、イアン&シルビアに自作曲を提供しソングライターとしての評判を高めていきます。特に“Early Morning Rain”は、カナダ・チャートで首位になります。ピーター・ポール&マリーのヴァージョンも米国でスマッシュ・ヒットします。エルビス・プレスリーらへも楽曲提供していくことになります。知る人ぞ知るカナダの才能が開花していきます。但し、花開いたのは米国でした。ボブ・ディランの敏腕マネージャーとして知られたアルバート・グロスマンこそライトフットの巨大な才能の発見者でした。

 1966年1月、遂に記念すべきデビュー盤「ライトフット!」がリリースされます。実は、この音盤は1964年にニューヨークで録音されていたものの御蔵入り状態だったのです。が、グロスマンの働きで、ライトフットがニューポート・フォーク祭で演奏し、人気TV番組ジョニー・カーソン・ショーにも出演したことで、音盤リリースに至ったのです。御蔵入りしていたとは言え、その内容は今聴いても古臭くありません。収録された全14曲のうち11曲はライトフットの自作曲です。上述の“Early Morning Rain”も聴けます。

カナダの精神を刻む音楽

 1967年4月、第2弾「The Way I Feel」がリリースされました。特に、注目すべきは“Canadian Railroad Trilogy”です。この曲は、CBC(言わばカナダのNHK)から委嘱された特別な曲です。1967年はカナダ建国100周年の記念すべき年ということで、それに相応しい歴史を描写する希望と誇りに溢れる力強い曲が出来上がった訳です。6分22秒という長尺です。日本の27倍の広大な国土が東西は大西洋岸から太平洋岸に広がり、北は北極海に面する若い国家カナダの統合を象徴するのが鉄道のネットワークでした。1885年に大陸横断鉄道が完結しました。ライトフットは、そんなカナダ建国と鉄道の絆を歌い上げたのです。CBCが100周年に際して委嘱した音楽家がライトフットであったという事実は、ライトフットが真に国民的な歌手だということを端的に示しています。カナダの精神を刻む音楽です。必聴です。

結語

 ゴードン・ライトフットが没して既に3年近くが経過しました。世に『去る者日々に疎し』と言います。しかし、如何に歳月を経ても風化することのない本質というものがあります。カナダの心情と歴史を描き人々の心に深く沁みるライトフットの歌は永遠です。

(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。

音楽の楽園~もう一つのカナダ

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身