筑波大学大学院で客員教授として教壇に立つ岡田誠司氏。在バンクーバー日本国総領事として2013年から3年間、バンクーバーに滞在。在留邦人だけでなく日系カナダ人のコミュニティとも広く交流し、外交官という仕事を超えて親交を深めた。
8月6日、バンクーバー日本商工会(懇話会)主催の講演会を前にバンクーバー市で話を聞いた。
42年間の外交官生活を振り返り、次世代に伝えられること
岡田氏は1981年に外務省に入省。2013年から16年まで在バンクーバー日本国総領事、その後、在南スーダン日本国大使や在バチカン日本国大使を歴任。2023年に退職。現在は茨木県つくば市在住。明治大学経営企画担当常勤理事も務めている。

「4月から筑波大学大学院で教え始めて、クラスに30人いますが、23人が外国人留学生で、日本人の学生は7人。だから本当にインターナショナルで色々な国の学生がいます。
何をしているかというと要するに国際関係なんですが、国際関係の中でも実際の外交というのはどういう風に動いているのかという話をしています。私は日本の外交官でしたから、日本での話を中心にして、外交というのはどういう風に各国と行われているのかなどを話しています。
大学で教えたいと思ったきっかけは、1981年から2023年まで42年間外務省にいたわけですが、その間にずっと色々な国を回って外交の仕事に携わってきたことを思い返すと、自分がいた42年の間に世界は良くなったんだろうかと振り返ってみて、実は必ずしもそうは言えない。むしろこれからの世界情勢というのは非常に心配ごとがたくさんある。
そうすると自分は42年なり外交に携わってきたのですが、外交は1人でやるわけではないですが、結果として世の中が必ずしも良くなっていないということに対する思いはあります。
そうであれば、それを次の世代を担う人たちに『何が良かったのか、何が良くなかったのか?』ということをきちんと伝えていかなくてはいけないかなという思いがあって大学で教えています」
「法の支配」が世界的に揺らいでいる
バンクーバー総領事館の前任地はアフガニスタンで、中近東情勢にも詳しい岡田さんに現在の中近東を含む世界情勢について聞いた。
「非常に懸念すべき材料がたくさんあって抽象的に大きな話で言うと、国際情勢を動かしていく基本的なルールがあるわけです。少なくとも自分が外務省に入って、ずっと日本は、今もそうですが、外交を動かしていく時の基本的なルールを守っています。
それは、第2次世界大戦の反省に立って作られた色々なシステム、抽象的に言うと「“Rule of Law”法の支配」と言われるものです。この「国際法」をきちんとみんなで作って、その下でみんなで共存していきましょうっていうそういう大きな目的があって、それは国連の大きな目標の1つなんです。
日本はそういう中で経済でも政治でもいわゆるRule of Lawを非常に重要視して、外交もしているわけですが、残念ながら、それが今大きな岐路に立っているっていうことです。中東の紛争もそうですし、アメリカを中心とする色々な経済の問題もそうなんですが、要するにみんなが寄って立つところの「国際法」を遵守してやっていきましょうっていう方向から大きく外れている。それが根本的な原因だと思います」
バンクーバー総領事時代の思い出

2014年にバンクーバー総領事館が開館125周年を迎え、岡田氏は総領事として外務省に残る公文書を調べ、歴史を振り返るフォーラム「二つの歩み」を開催した。外交文書からひも解くバンクーバーでの外交と、当時の日系カナダ人コミュニティの歴史を並べて考察するという新しい視点からのバンクーバーの日系の歴史を戦前から現代まで1年で6回シリーズとして開催した。
「バンクーバーだからこそできたっていうのは、日系コミュニティの人たちと一緒に日系人の歴史の検証です。6回のワークショップを開きました。
バンクーバー総領事館は1889年にオープンしています。そして最初の総領事が来てから今もそうですけど、外交として行った仕事の記録を東京に全部送るんです。それが外交資料館に残っています。それで、私は1889年に領事館ができた時からの記録をずっと見返して、総領事館は何をやってきたのかっていう話をしました。
一方で日系コミュニティは日系コミュニティの歴史がずっと続いているわけで、それを並べてみると色々な局面で色々なことがあったことが分かります。日系コミュニティで何かが起きた時に総領事館は何をやったのか、そういう話を紹介するワークショップでした。これは私自身も非常に勉強になったし、日系コミュニティの方々も普通そういう外交文書って直接見ることはないと思うので、新しい事実というか、そういうものがたくさん見つかって、おもしろかったですね」
今回の講演では、戦前の総領事館が日系カナダ人の人たちの問題にどのようにかかわったのかを説明。日系カナダ人の問題だからと見放すのではなく直接的ではなくても間接的に手助けしたことを紹介した。また在任中には日韓の歴史問題がバーナビー市に持ち込まれたことや、ようやくBC州から日本に向けて始まったLNG(液化天然ガス)の輸出が当時は非常に難しい問題だったことについても語った。
ブリティッシュ・コロンビア州に流れ着いた東日本大震災によるがれき漂流問題
2011年に起きた東日本大震災は大きな問題を起こした。その一つが、地震や津波で出た大量の「がれき」が太平洋を渡り北米西海岸に到着するという問題だった。日本政府はカナダ・アメリカに清掃支援金を支払うことを発表し、カナダには100万ドルが送られた。さまざまな団体が清掃作業を行ったが、バンクーバーでは震災の募金活動のために日本人の学生が中心となって作った団体「ジャパンラブ・プロジェクト」が清掃作業でも活躍した。2013年には清掃に関する報告会が総領事公邸で行われている。
「東日本大震災が起きて2年ぐらいたったころに、その震災のがれきが(北米)西海岸に流れ着くということで、カナダも含めて結構大きな社会問題になったんです。そこには色々な誇張された情報もたくさんあったので、それはカナダに対しては正確な情報を伝えました。『放射線汚染されたがれきが来る』みたいな心配もあったわけです。結果的にはそういうことはないですと伝えました。それでもがれきが到着するのは事実ですからカナダ側には不安があったのかもしれません。
あの時にうれしかったのは日本人の学生が協力して、率先して自分たちで清掃活動しようとグループで清掃に行ってくれたことです。それに私と妻も一緒に(トフィーノまで)行って清掃活動をしました。行ってみると大変で。ご承知のとおり、あちら(バンクーバー島南部西海岸側)へは道路アクセスが難しいので、みんなボートでぐるっと回って行って、回収したゴミもゾディアックみたいなボートに乗せて持ってこないと持ってこれない。結構大変でした」
若い世代への期待
「先ほども言ったように国際情勢って必ずしも良くなっていないというか、むしろ流動化しています。そういう中で若い人たちにもグローバルな視点がとても大事だと思っています。そういう意味で、私は学生たちにはどんどん(海外へ)出て行って(日本の)外を見てもらう。(日本の)外を見ることは合わせて日本のこともよく分かるんです。そういう目を持って、これからのキャリアの中で生かせてもらえたらなと思っています。
外交官として私は基本的にはどこに行っても同じようにしていました。私たちの仕事は、仕事という局面で見れば外交の基本になるのは情報です。相手の国は何を考えているのかということを正確になるべく多くの情報を得ること、合わせてこちらからの情報もきちんと発信して、日本はこういうことを考えてますよ、ということを言っているのが、外交の仕事なんです。
そういう意味では色々な人たちに会って、色々な人たちからお話を聞いて、またこちらからも必要な情報を提供してっていうことなので、それはどこの国に行っても同じです。
ただバンクーバーでは、いわゆる仕事という意味での日本だけではなくて、日系コミュニティの方々とか在留邦人の方々もたくさんいますし、そういう方との中で得る情報もたくさんありますから、そういう意味ではここでは本当に色々な方とお会いできて本当に楽しかったです」
バンクーバーのコミュニティに一言
「私は2013年から16年までここに滞在させていただきましたけれども、非常にたくさんの方々とお会いできて、日加関係というお仕事上の関係だけではなくて、個人的な、友情というか、色々な方とそれが育まれたのは私にとって本当に代え難い場所でした。
私たちは1つの国に3年ぐらいしかいないので、そういう関係は大体それで終わるんですけど、ここではそうではなくて、ここでできた色々な方と関係をずっと続けていけたらいいなと思っています。
ですので私はずっと日本にいますので、日本に皆さんがお越しになることあれば日本でもまた再開して色々な話ができればと願っています」

(取材 三島直美)
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