滋賀とカナダを結ぶ移民の歩みを辿る ― 松宮哲さん、バンクーバーで講演

2025年9月15日、滋賀・カナダ移民研究所、滋賀大学・びわ湖東北部地域連携協議会主催(日本・カナダ商工会議所共催)のもと、「カナダ移民セミナー」がバンクーバー市内で開催された。

今回の講師は、かつてパウエル街で「松宮商店」を営んでいた移民の孫であり、カナダ移民研究者としても知られる松宮哲さん。松宮さんは自身の祖父母が歩んだ道のりをたどりながら、滋賀からカナダに渡った人々の歴史を語った。

滋賀とカナダを結ぶ移民の歩みを辿る ― 松宮哲さん、バンクーバーで講演

開会にあたり、在バンクーバー日本国総領事館の岡垣首席領事は「滋賀県とカナダの深いつながりを知ることは、将来日本とカナダの架け橋となる若者にとって、移民の歴史を学ぶ上で非常に重要な経験になる」と話した。会場には滋賀大学の学生も参加し、国際的な歴史研究の広がりを感じさせた。

滋賀とカナダを結ぶ移民の歩みを辿る ― 松宮哲さん、バンクーバーで講演

移民史研究と家族のルーツ

松宮さんの祖父は1896年に渡加し、バンクーバーの旧日本人街・パウエル街で食料品や雑貨を扱う松宮商店を開いた。戦前まで続いたこの商店は、地域の日系社会の暮らしを支える存在であったという。

「2014年、映画『バンクーバーの朝日』を観たことがきっかけで、自分の家族史と日系移民史の関わりに改めて関心を持ちました」と松宮さんは振り返る。その後、独自に資料を収集・研究し、2017年には著書『松宮商店とバンクーバー朝日軍』を出版。滋賀県人を中心とした移民の歴史を掘り下げてきた。

滋賀とカナダを結ぶ移民の歩みを辿る ― 松宮哲さん、バンクーバーで講演

移民の背景 ― 水害と生業の伝統

講演ではまず、明治期の日本が進めた移民政策に触れた。とりわけ滋賀県では1896年に琵琶湖周辺を襲った大水害が人々の暮らしを直撃し、多くの農民が生活の再建を余儀なくされたという。松宮さんは当時の写真や記録を示しながら、「故郷で生計を立てることが難しくなった人々が、希望を求めてカナダへ渡った」と説明した。

滋賀とカナダを結ぶ移民の歩みを辿る ― 松宮哲さん、バンクーバーで講演

また、滋賀県は古くから「近江商人」と呼ばれる行商の伝統を持ち、全国を歩いて商売を営んできた歴史がある。その精神が海外移住にも受け継がれたと指摘。カナダに渡った滋賀県人が、商店経営や製材業に活躍の場を見出したのは必然だったのかもしれないと語った。

コミュニティとバンクーバー朝日

滋賀県出身者はやがてパウエル街を拠点にコミュニティを形成。商店や料亭、理髪店などが立ち並び、街は活気にあふれた。講演では当時の写真や映像も紹介され、参加者は往時の賑わいを思い描いた。また、娯楽として親しまれたのが野球である。滋賀出身者も多数参加した「バンクーバー朝日」は、カナダ野球史に名を残す強豪チームへと成長した。

滋賀とカナダを結ぶ移民の歩みを辿る ― 松宮哲さん、バンクーバーで講演

戦争と収容、そして和解へ

しかし日系移民の歴史は順風満帆ではなかった。1907年には反アジア排斥運動による暴動でパウエル街が襲撃され、多くの商店が被害を受けた。さらに第二次世界大戦中には、日系カナダ人が強制収容され、家や財産を失った。

松宮さんは「戦争によってコミュニティは分断されたが、人々は助け合いながら収容所で生活を築いた」と語った。その後、1988年にカナダ政府が公式に謝罪し補償を行ったことにも触れ、「苦難の歴史を乗り越えてきた人々の歩みを忘れてはならない」と訴えた。

滋賀とカナダを結ぶ移民の歩みを辿る ― 松宮哲さん、バンクーバーで講演

会場の声

参加者からは、滋賀県とカナダのつながりを知り、移民の歴史の重みを改めて感じたという声が聞かれた。戦時下の日系カナダ人の強制移動や財産没収の事実に驚く人も多くみられた。またある参加者は「自分の家族のルーツと重ね合わせて考えるきっかけになった」と語り、歴史を学ぶことの意義を実感していた。

本セミナーは、滋賀とカナダを結ぶ過去と未来を照らし出す貴重な場となった。歴史に光を当てる取り組みは、カナダの日系社会のルーツを再確認し、次世代へと受け継いでいく力となるだろう。

滋賀とカナダを結ぶ移民の歩みを辿る ― 松宮哲さん、バンクーバーで講演

主催:滋賀・カナダ移民研究所、滋賀大学・びわ湖東北部地域連携協議会
共催:日本・カナダ商工会議所
著者:西田珠乃
撮影:乘峯良輔
寄稿:日本・カナダ商工会議所

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