戦後80年の節目を迎えた今年。広島の被爆1世、2世、3世の歩みを記録したドキュメンタリー映画「ある家族の肖像~被爆三世代の証言~」が11月22日、ブリティッシュ・コロンビア州バーナビー市の日系文化センター・博物館で上映された。
初の海外上映となった今回のイベントでは、映画に出演した被爆2世の鈴木カオルさん、音楽を担当したジャズピアニスト金谷康佑さんが日本から参加、家族の記憶と被爆に向き合う自身の思いについて語った。
旧知の縁がつないだバンクーバー上映
上映会を主催したのは日本カナダ商工会議所。高橋サミー会長は日本でカオルさんと同じ職場に勤めていたことがあり、カオルさんの父、鈴木照二さんとも面識があったという。この旧知の縁が再び結び、今年3月に「海外で上映したい」と相談を受けたことから企画が動き出した。バンクーバー広島県人会の後援を得て、家族3世代の被爆の記憶が初めて国外の観客へ届けられた。
映画はテレビ朝日の報道番組を数多く手がけた上松道夫監督が2023年に制作。旧制広島高等学校在学中に勤労動員先の寮内で被爆した被爆1世の祖父の照二さん、高校生の時に心臓に異常が発見され体調不良の日々を過ごしてきた被爆2世のカオルさん、大学4年で甲状腺がんを宣告された被爆3世の万祐子さん。兵庫県神戸市の3世代が広島を訪ね、戦争と原爆の記憶、そして未来への思いを語った旅が記録されている。
カオルさんと金谷さんがこの活動を始めたのは2020年ごろのこと。もともとカオルさんは金谷さんのマネージャーを務めており、福島第一原発事故で避難を余儀なくされた子どもたちをサマーキャンプに招き支援した経験をきっかけに、「平和のために自分も行動したい」と考え、活動へと歩みを進めた。

上映後に観客の前でマイクを握ったカオルさんは、「Can I be very honest with you?」と始め、「映画の中では強い人間だと話しましたが、私はただの母親で、娘のことを心配しているだけです」と静かに語り始めた。娘の病気や当時の心境に触れると声を詰まらせ、言葉を続けながら涙を拭う場面もあった。その姿に目頭を押さえる参加者の姿も見られた。
イベント後、「初めてですね。一人の母としての気持ちを伝えたいなと思ったのは」とカオルさんは打ち明けた。「いつもなら映画がどう作られたか、音楽がどう生まれたかを話すんですけれど、今日は全くそういう雰囲気ではなくて」と続け、「私の本当に一人の母としての気持ちを伝えたいと思った」と穏やかに語った。
残された記憶をどうつなぐか
被爆3世でありバンクーバー広島県人会の理事を務める吉崎大貴さんは、祖母が原爆投下時に爆心地から約2.5キロ地点で被爆した体験を紹介した。
祖母は閃光と爆風を受けた後、行方が分からなくなった母親を捜して町へ向かい、「シャベルを持って数え切れないほどのがれきと遺体を掘り返し、ようやく母の遺体を見つけた」と語っていたという。吉崎さんはその証言を受け継ぎながら、「(非核は)世界的な責任」と語り、二度と同じ悲劇を繰り返してはならないと強く訴えた。
さらに、被爆者の平均年齢が80〜90歳に達し、直接体験を語れる人が急速に減っている現状に、「だからこそ、私は今日ここに立っています」と述べ、継承の重要性を参加者に呼びかけた。
質疑応答では、さまざまな形で被爆の記憶や家族の体験が語られた。就労先の長崎で被爆した父を持つ参加者は、帰郷後も支援を受けられず後遺症と闘い続けた過去を話した。また、被爆3世として参加した来場者は、祖母の死の間際に自身の体調不良が被爆の影響かもしれないと告げられた経験を明かし、世代を越えて続く不安と向き合ってきた胸中を語った。
音楽が導いたドキュメンタリー
上映後には音楽を担当した金谷康佑さんが、映画のタイトル曲「A Portrait of a Family(家族の肖像)」をはじめ3曲を演奏した。

ピアノの一音が響いた瞬間、会場の空気は静まり、観客の意識が一斉に音楽へと向かう。曲調が変わるたびに深い集中に包まれ、アンコールでさらに2曲を披露。映画の挿入曲も演奏され、会場には揺らぐような余韻が残った。
ドキュメンタリー制作の経緯について金谷さんに聞くと、監督の上松道夫さんが金谷さんのコンサートに通い、演奏を聴き込む中で映像の構想を固めていったことを明かした。上松監督はソロアルバムに収録されている「家族の肖像」に強いインスピレーションを受けたといい、「監督から『曲から映画のイメージができた』と言われた」と振り返った。映画の核となる世界観が音楽から立ち上がった。
また、「第2次世界大戦から、まだ終わってないと感じています」と、被爆の歴史をめぐる問題が現在も続いていると思うと語った。今回の上映と演奏については、「若い人にとっても意味のあるイベントだったと思う」と、海外での上映や演奏の機会を今後も広げていきたいと話した。
母としての胸の内と、音楽がつないだ力

イベント終了後も会場では参加者がカオルさんたちと言葉を交わし続け、温かな余韻が漂っていた。インタビューに応じたカオルさんは、ふっと表情を緩め、「(今日のイベントは)すごく身内のファミリー感があって。初めてお会いするのに、お客様というより家族のように感じました」と笑顔で振り返った。
映画の中では、被爆1世である父の体験とともに、カオルさん、そして娘の万祐子さん、それぞれの視点から被爆の影響が描かれている。カオルさんは娘に対して病気や被爆のことを「怖くて、今まで聞いたことがなかった」と明かし、映画を通じて初めて娘の本心を知ったと話す。
またこの活動を続ける上で、音楽の存在が大きな支えになったとカオルさんは語る。手術を控えて不安定だった時期、万祐子さんが一人で暮らす小さなアパートには、大学時代の友人たちが入れ替わりで泊まり込み、万祐子さんを見守った。そしてカオルさんに向けても、「僕たちが守りますから。寂しい思いをさせないから、お母さん大丈夫だからね」と声をかけ続けたという。
「みんな音楽で繋がった仲間です」とカオルさん、手術が無事終わったことについて「音楽の友達が起こしてくれた奇跡」と目を潤ませた。
音楽が家族を支えた経験は、この活動の原動力にもなっている。「音楽が心に残って映画を思い出してくださればいいんです」、言葉ではなく音として残る記憶にも意味があると話した。さらに今後の活動への思いとして、「若い人に種を植えたい」と繰り返し、「映画の内容を覚えてなくても、原爆ドームを思い出すだけでいい。小さな種でいい」と力を込めた。

(取材 田上麻里亜)
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