「アワ・レディ・ピース」音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第40回

はじめに

 日加関係を応援頂いている皆さま、音楽ファンの皆さま、こんにちは。

 10月の声を聞くと一気に秋が深まり既に冬の予兆を感じます。先日、朝起きたら気温は1℃。日課のウォーキングに出かけた訳ですが、近所の公園に通じる遊歩道では前日の雨で出来た水たまりに薄っすら氷が張っていました。紅葉が進み、落ち葉も目立って来ました。空気が澄んで、遠くの景色も輪郭がはっきりと見えます。

 こんな初冬の季節には、自分を元気付けるために、芯の強いロック・ミュージックを聴きたくなります。商業化されたロックではなく、ウッドストックの頃の熱量と創造性を放射するような21世紀のロックです。

 そこで、今月の「音楽の楽園」はアワ・レディ・ピース(Our Lady Peace)です。敬愛を持ってOLPと呼ばれています。1992年にトロントで結成。以来、ヴォーカル兼ギター兼ソングライターのレイン・メイダを核として30年を超えて今も現役です。カナダのオルタナ/グランジ系ロックの象徴的な存在です。現在、「OLP30」と銘打ったコンサート・ツアーを敢行中で、12月にはトロントやバンクーバーでその勇姿が観れます。

名は体を表す

 ロック史を紐解くと、幾つかの偉大なバンドはアルファベット3文字の略称を持っています。ファンにとっては、その3文字が楽団の音楽性を表すだけでなく、歴史をも語りかけるのです。例えば、ELP(Emerson, Lake & Palmer)、ELO(Electric Light Orchestra)、BST(Blood, Sweat & Tears)、BBA(Beck Bogert & Appice)等々です。そんな、ロック烈伝にOLPも列せられています。

 そこで、まず疑問が沸くのはOLPという名前の由来です。Our Lady Peace、訳しようによっては「平和の聖母」です。決してロック・バンドっぽくはありません。しかし、ビートルズもローリング・ストーンズも楽団名には強烈なメッセージが含まれています。「平和の聖母」にもバンドの思いが込められているのです。

 時は、1991年。トロント大学で犯罪学を専攻していたレイン・メイダは、英国出身のギタリストのマイク・ターナーと出会い新しいバンドを結成。「As If」と名乗り、トロント近郊のオシャワを拠点に活動を開始します。やがて、音楽プロデューサーのアーノルド・ラニと出会い、オリジナル曲を軸に活動を本格化させ、音盤制作も視野に入れていきます。必然的に、バンド名をもっと印象深く主張の明確なものに変更しようとなるのです。

 そこで、メンバー間で相談している中で、行き着いたのが詩人・作家マーク・ヴァネ・ドレンの1924年の詩集「Spring Thunder」に収録された詩『Our Lady Peace』です。ドレンは、米国イリノイ州出身で長くコロンビア大学で教鞭を取り1940年にピューリッツァー賞を受賞。アレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックらビート世代に影響を与えています。この詩は、人間社会の混乱や戦争、暴力の中に精神的な救済を求める内容で、Our Ladyは聖母マリアの慈愛を暗示し、Peaceは魂の安寧を志向しています。

 文学的かつ哲学的で精神的な内容である上に、その響きの美しさに惹かれて、バンド名に採用したと云います。メイダ自身も「宗教的な意味はなく、混沌とした中にある平和の感覚を表したかった」と語っています。OLPは30年以上に及ぶ活動の中で進化していますが、人間の孤独、精神的苦悩、社会への問いかけが音楽の根底にあり、このバンド名は正に「名は体を表す」を地で行っている訳です。

OLP始動

 音楽に限らず、文学でも映画、絵画、ファッション等の芸術では、時として、デビュー作品に作家の核心が表れるものです。OLPも例外ではありません。

 デビュー盤「ナヴィード(Naveed)」は、ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムというロック・バンドの黄金律が生むシンプルにしてパワフルな直裁な音楽です。1994年3月にリリースされましたが、今聴いても荒削りな中に虚飾を排した原初的ロック・ミュージックの輝きが眩しいです。音盤の表題ナヴィードとはペルシャ語で「良い知らせ」或いは「福音」を意味し、メイダが書いた歌詞には形而上学的な要素が潜み、救済と破滅の間の緊張感、希望と現実の間に引き裂かれる孤独のような二律背反がテーマになっています。哲学的な主題が荒々しいロックのリズムに乗って歌われ、聴く者の胸にダイレクトに迫ります。特に、メイダの声は、一度聴くと耳に残ります。村上龍の最高傑作「コインロッカー・ベイビーズ」の主人公ハシを彷彿させる屹立した声と言うべきでしょうか。U2のボノに近い声質です。

 「ナヴィード」には全11曲が収録されています。これらの楽曲は、1992年にOLPが結成された直後から書き溜め、デモ・テープを作って、独立系のレコード・レーベルに売り込みをかけていたものです。1993年4月に最大手ソニー・ミュージックのカナダ会社と契約。以後、デビュー盤の本格的制作に入ります。リハーサル・スタジオを借り切り、演奏力を鍛えると同時に、楽曲の完成度を高めます。この段階で加入したドラム奏者ジェレミー・タガートは100人を超えるオーディション参加者の中から選ばれた弱冠17歳の神童です。

 デビュー盤の11曲に響く全ての音はOLPの4人のものです(但し、7曲目『Denied』のリードギターだけ例外的に。後にボンジョビのギタリストに就任するフィルXがゲストで弾いた)。バンド・メンバーだけで全て録音するというのは、巨大な産業と化し専門の職業的スタジオ・ミュージシャンが録音するのが普通の音楽業界では稀有なことです。バンドの息づかいや皮膚感覚が1ミリも違うことなく伝えられるのです。

 地元トロント周辺の好事家には知られていても一般には全く無名の新人バンドOLPでしたが、デビュー盤「ナヴィード」はカナダの若者の心を掴みました。グランジ系のロックが商業的な成功に繋がる例は多くないのですが、この音盤からは5曲がシングル・カットされ、1994年に10万枚以上が売れました。カナダのグラミー賞とも言うべきジュノー賞のデザイン部門も受賞しました。この音盤のちょっと変なジャケットが評価されたのです。

 そして、OLPはロック・レジェンドの心も掴むのです。あのレッド・ツェッペリンのロバート・プラントとジミー・ペイジが結成した「ペイジ&プラント」のコンサート・ツアーに同行してオープニング・アクトを務めることになったのです。これは凄いことです。実力が認められたということです。前座と書くと軽く見られがちですが、超大物を目当てに来た聴衆を前に演奏出来るのですから、新人バンドにとっては絶好の機会です。時には、主役を食うほどの盛り上がりを見せたと云います。更に、ヴァン・ヘイレンのツアーにも同行することになりました。英米の最高峰バンドのツアーへの同行は、評判を呼び、「ナヴィード」は米国でも英国でもリリースされることになりました。

 2021年11月の段階で「ナヴィード」はカナダだけで40万枚を売り上げたと公式に確認されています。

次作への挑戦

 OLPは、1992年の結成から2年後にデビュー盤をリリースし、英米の伝説的トップ・バンドのツアーに同行。1995年には、当時人気絶頂のアラニス・モリセットのツアーにも参加しています。瞬く間にカナダ有数のバンドへと成長した訳です。

 そうなると、当然ながら次回作への期待が否が応でも盛り上がります。しかし、事はそう簡単ではありません。人によっては、その期待をプレッシャーと感じることもあるでしょう。演奏ツアーを続けながら、バンドとしての統一感を維持した上で前作を超える質を達成し、時代を先取るのは、言うは易く行うは難しです。でも、OLPは“一発屋”で終わらず、“ちゃんとアルバムを作るバンド”であることを証明したいのです。

 まず、バンドの要ベースがダンカン・クーツに交代します。そして、1996年1月、新アルバム制作の準備のために、オンタリオ州マスコーカにあるクーツの山荘に楽器と録音機材を持ち込んで約1か月間籠ります。全くのトリビアですが、マスコーカは2010年のG8サミットが開催された場所で、私も代表団の一員で参加しましたが、周りに何も無い、大自然の懐に抱かれた地でした。要するに、OLPの4人のメンバーとプロデューサーのラニーは、家族・友人・レコード会社関係者・メディアから完全に隔離された環境に身を置き合宿した訳です。しかも1月の厳冬期です。曲づくりに集中するしかありません。休憩にアイスホッケーで気分転換したそうですが。結果、20曲の新曲が出来上がりました。ほぼ毎日、新曲が出来上がった訳です。

そして、最高傑作

 1996年2月、OLPはトロントのスタジオに参集。マスコーカで出来たばかりの新曲20曲をブラッシュアップして録音します。その中からベスト・テイク11曲が厳選されます。

 そうして第2弾音盤「クラムシー」が1997年1月にリリースされました。カナダのアルバム・チャートでは初登場1位を獲得。米国でもリリースされ、ビルボード誌アルバム・チャートにも入りました。「クラムシー」はカナダと米国でもそれぞれ100万枚ずつ売り上げています。音盤の質を売上枚数で示すのは商業主義的過ぎるかもしれませんが、マスコーカの音楽三昧の合宿生活で生み出された曲は、前作「ナヴィード」を超える佳曲揃いです。今回も完全にメンバー4人のみの録音でしたが、メイダはピアノ・キーボードも弾いて、バンド・サウンドに厚みを加えています。高速のドライブ感もあればスローなバラード調もあります。メイダの声も七変化。曲想の幅が大きく1枚の音盤の中に極上のロック宇宙が拡がっています。OLPの最高傑作にして、北米におけるグランジ系ロックの最良の1枚と言えると思います。

 そんな名盤の生まれた瞬間をメイダが次のように語っています。

 「その時までの曲は全部置いていって、まったくゼロから始めたんだ。MTVもMuchMusicも、メディアもマネージャーもいない。ただ音楽を演奏して、作曲しただけだった・・・朝起きた誰かがアコースティック・ギターを手に取って、自然に曲が生まれていく。また、“音楽を楽しむ”という感覚を取り戻せたんだ・・・何かを楽しみ始めると、もう他人がそれを好きかどうかなんてどうでもよくなる。そうやってプレッシャーが完全に消えたんだ。(エドモントン・ジャーナル紙)」

継続はチカラ

 OLPは、その後もコンスタントに音盤を発表しています。

 2000年の「スピリチュアル・マシーンズ」は、未来学者レイ・カーツワイルの著書に触発された音盤です。近未来にAIが人間の知能を超える特異点が来る可能性を念頭に、改めて人間とは何かを問う傑作。バンドの生音と電子音が共存するサウンドも象徴的です。

 2002年には、創設メンバーのマイク・ターナーが抜けて、バークレー音楽院出身の米国人ギタリストのスティーブ・マズールが加入。OLPは、新たな高みを目指します。グランジ系の荒々しいサウンドからストリングスも大胆に取り入れてより洗練されたサウンドへと進化して行きます。メイダの声もかつての高音域から中音域を主体に深みのある歌唱法へと変化していきます。音盤「グラビティ」には、結成から10年を迎えたOLPの新しい面が見えています。

 2003年には「Live」をリリース。結成以来の幾多の演奏ツアーで鍛えられたライブでの実力を余すことなく見せつけます。全く私事ですが、ノイズ・キャンセリング・ヘッドホンで大音量でこのライブを聴きながらウォーキングをすると自然とチカラが沸いて来ます。ちょっと面倒くさく錯綜する難問も、きっと何とかなるとポジティブに捉えられるのが不思議です。

結語

 最新作は2025年7月に発表された「Whatever(Redux)」です。ここには、結成から33年を経ても、OLPの核にある社会の現実に関する透徹した認識と人間への温かい眼差しがあります。

 この曲は、カナダ出身でWWE所属のプロレス世界ヘビー級王者クリス・ベノワの応援歌として2002年に誕生。ベノワ入場のテーマ曲でした。「Live」にも収録されたヘヴィー・ロックの佳曲です。が、クリス・ベノワは長年のトレーニングと試合で慢性外傷性脳症を患い、2007年に悲劇的最後を迎えました。衝撃的事件でした。

 初出から23年を経て、OLPは、改めて自殺予防とメンタルヘルスへの意識を広げるために、斬新なアレンジで再録音したのです。この曲のストリーミング収益は全て北米各地の自殺防止活動に寄付すると云います。

 私達は、地球温暖化と厳しい地政学と人工知能の時代に生きています。過酷な現実の中、絶望と諦観、救済と希望を示すOLPの音楽が必要だと実感します。

(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。

音楽の楽園~もう一つのカナダ

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身