「ひょうたん芸人」兼「ひょうたんアーティスト」として活動しているあらぽんさんが2024年11月にバンクーバーでワークショップを開催した。
カナダは初めての訪問で、とても刺激的で有意義だったと話す。そして「カナダで個展を開きたい」との夢も膨らんだ。
ワークショップを終えたあらぽんさんに話を聞いた。
ひょうたんとの出合い
お笑い芸人としての活動は2023年12月にコンビを解散して、2024年4月からピン芸人となった。「ひょうたん芸人」を自称するあらぽんさんだが、ピン芸人となってからひょうたんと出合ったわけではない。その縁は芸人の道を目指すオーディションの頃までさかのぼる。
「(オーディションを受ける)ライブ会場の前にひょうたん屋さんがあって、ショーケースのところにぶら下がっていたんですよ」と当日を思い出す。一発芸をする必要があり、何かないかと探している時に目についた。形がおもしろく購入しようと思ったが当時1個6000円ほどで「ちょっと無理だな」とあきらめたという。結局オーディションで使うことはなかった。
しかしその後インターネットで種が100円で販売されているのを見つけて購入。当時住み込みでアルバイトをしていたビルの屋上で育て始めた。
「1年目で大豊作したんです。ここがきっかけですね」。こうしてひょうたんとの縁が始まった。「いっぱいできると愛着が湧いちゃって」。それでもひょうたんはあくまでも趣味だった。

しかしまだコンビを組んで芸人活動をしていた時にテレビ番組でひょうたんを育てていることがきっかけでレギュラーとして出演することになった。そこから「ひょうたん芸人」の芽が出始める。
次は番組内でひょうたんランプの名人と出会って、「初めてひょうたんを加工して使えるんだったらアートとしてできるなと思って」。ひょうたんとアートが結び付く。ひょうたんでランプを作ることに挑戦した。ただ「ランプ作りはすごい苦手だった」と振り返る。絵の才能が必要で自分にはセンスがないと実感したからだ。それでも群馬で畑を借りてひょうたんランプの師匠と一緒にやっていた。ひょうたんアートとしては「その方法しか知らなかったので2年くらい続けました」。
そんなタイミングで新型コロナウイルス禍に入った。東京から出られなくなりひょうたんランプもとん挫した。「ひょうたんでの活動も終わりかなと思って」。そこに新聞での企画が舞い込んだ。「在宅芸人はいま家でなにをやってる?みたいな企画で。ちょっと芸人をいじった感じなんですけど、『やります、やります』って。仕事がなかったので」と笑う。その時に家に残っていたひょうたん2個を手に1個ずつもって撮った写真が掲載された。
「するとそれを見た人から『あなたのひょうたんは病気だぞ』っていう手紙が送られてきたんです」。その時はクレームかと思い無視したが、この人がのち師匠となる。
後日同じ人から荷物が届いた。中には「和紙が貼ったひょうたんが2個入っていました。コンビのあらぽん・みやぞんって書いてあって。それを見た時に『これだ!』と思って。すぐに電話しました」。
ひょうたんを45年も作っている名人だった。ただもう年だから現役を引退する、だから2冊にまとめた自分の培ったひょうたんの情報を「全部あげるから取りに来てほしいって」。行ってみると「うちの畑で1年間やってみてそれで巣立っていたらどうかとなって。1年間、土作りから一緒にやりました。そのうちに自分にひょうたんの知識が少ないということにおじいさんが気づいて(笑)」。それで引退を辞めて一緒にひょうたんを作ることになった。「もう5年くらい一緒にやってます」。
こうして芸能活動とは関係ないところでひょうたん作りが続いた。そんな時にコンビを解散。ピン芸人になって本格的にひょうたん「芸人」と「アーティスト」の活動が始まった。
ひょうたんを「あらぽんスタイル」でアートする

ひょうたんランプ作りは苦手だったが、和紙を貼るアートは気に入っていた。「めちゃくちゃ自分に合ってるなって思って。和紙アートも大変なんですけど、自分の好きな和紙を選んで貼って。組み合わせも、表現も、自由にできるし」。そして和紙以外に気に入っているのがマーブリング。「最初にひょうたんを持った時にやりたかったのがマーブルカラーをのせる方法なんです」。しかし水とインクでは弾いてひょうたんに色がのらない。そんな時にフルイドアートを見つけて「これでやってみたらめちゃくちゃいい色になって。これだって思って始めました」。
元々アートに興味があったわけではなかったという。ただコンビの解散が決まる少し前にアートを意識し始めた。ひょうたん芸人も定着し始めて、解散となったタイミングで「自分ができるアートを作ってみようと思ったんです」。
ただ自分の中では「アート」とはキャンバスに描かれた部屋に飾れるものだった。ひょうたんに和紙を貼ったり、マーブリングするだけではアートとは言い難い。そこで思いついたのが、「ひょうたんを半分に切って、キャンバスに貼って、それをマーブリングしたらどうかなと」。

やってみると自分しかやっていないことに気づき、自分の思い付きに感動する。「これ、めちゃくちゃいいじゃん!って。自分が種から育てたひょうたんを加工まで全部自分でやってアート作品にまで完成させる。これってたぶん世界で一人しかいないです。自分しかやっていないと思います。それって世界一じゃないですか!」。
しかも作品は唯一無二。「フルイドアートって同じ色は絶対できないんです。流し込みなのでその時に流すタイミングとか気候とかによっても色の交ざり具合も違って、唯一無二だなと。しかも、ひょうたんの形も同じものはないので、唯一無二なものに唯一無二なものが乗っかって、『もうこれ、めちゃくちゃいいじゃん!って』。それでこのアートを自分が作っているというのを前面に出そうと思って」。自分の思い付きに酔った。
1個目のアートを作った日から2カ月後に個展が決まるひょうたんがつなぐ縁
酔った思い付きを形にした。解散が決まった11月のその夜に1個作った。「その日に作ろうと決めていたんで。そこから、個展をやろうっていうのも決めて」。そして12月5日に解散発表。それから2カ月後に個展開催が決まった。「それもひょうたんでつながっているんです」。
解散してアートをやるって決めたなら「まずはギャラリーを見に行った方がいい」と知人からアドバイスを受けた。「ちゃんと勉強した上で自分がどういうことができるかっていうのをやりなさい」とアドバイスされた。その約3日後、仕事会場に早く着いたため、その時間を利用してたまたま見つけた個展会場に入った。少し敷居が高く感じたが「とにかく最初のギャラリー見学をやってみよう」と中に入った。しばらくすると声をかけられた。「うわぁ、話しかけられた」と思ったという。「なんで僕だって分かったんですか?って聞いたら、『カバンについている金のひょうたん見てあらぽんだって分かりました』って言われて。それってすごいじゃないですか!」
なぜこのギャラリーに入ってきたのかを説明した。すると「その方が熱心な方で、本当にギャラリーを探しているんだったら、うちを使ってもらえませんかって言われて」。そのまま別の場所にあるギャラリーを紹介されて、「めちゃくちゃいいですね、って言ったら、その場で『じゃあこの月に個展をやりましょう』って決まったんです」と、2024年9月に個展開催が決まった。
ひょうたんで「新世界」への扉を開く

個展は2024年8月31日、9月1日の2日間開催された。「たくさんの人に来てもらって大成功でした」と振り返った。
「その個展で僕は本当に、生意気なんですけど、絶対人生を変える、この人生にするっていうのを決めて、8カ月間アートを作り続けました」。
個展が決まってから開催までの8カ月間、とにかく作品を作り続けた。「気づいたら一人で160点作ってました」。この8カ月間、個展だけに集中した。「仕事もなかったし、不安だったりもありましたけど、絶対ぶれないで、2024年は絶対にこの準備すると決めて。25年にはもっと大きくしたいからと思って」。仕事をしていないこともあり、芸人としての給料が850円の時もあったという。「さすがにめちゃくちゃ焦るんですけど、でも絶対にぶれないって思って、作りまくって」。
個展のテーマは「新世界」とした。自分自身の世界も変えるという意味も込めたという。
この個展が成功に終わった2カ月後にはバンクーバーでワークショップを開いていた。「ほんとにもうスーパースタートダッシュというか。全てがひょうたんでつながっていて」。
バンクーバーでのワークショップはあらぽんさんにとって大満足以上に、色々なことに刺激を受けたイベントとなった。
後編に続く:「『瓢箪から駒』を数える」ひょうたんアーティストあらぽんさんバンクーバーでワークショップ
(取材 三島直美)
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