カナダで薬剤師(2)荒波に揉まれて

 2020年の年初から世界を騒がせてきた新型コロナウイルスは、もはや未知の恐怖ではなくなり、先進国の中でもとりわけ慎重な水際対策を行なってきた日本でさえも、2023年5月からは感染症法上の扱いが季節性インフルエンザと同じ5類になりました。

 2024年に入ると、日経平均株価がバブル期の1990年2月以来の高値を更新。一方で、日本政府の賃上げ支援策を背景に企業で賃上げの取り組みは見られるものの、この30年以上に渡り停滞した賃金を短期間で北米レベルに引き上げるのは非現実的なこと。さらには最近の円安も追い打ちをかけ、海外留学を希望する若い世代にとっての経済的な負担はこれまでになく大きいものであると言えます。

 しかし、そんな時代だからこそ、海外で夢を追いかける皆さんを応援したく、私がカナダで薬剤師になった道のりを前回紹介させて頂きました。あの頃は、先が見えないという意味で本当に大変でしたが、その経験があったからこそ、ちょっとやそっとのことでは心が折れなくなったような気もします。今回は、私がカナダで薬剤師になってからのお話です。

 2007年の春に、ブリティッシュコロンビア大学(UBC)の外国人薬剤師向けブリッジングプログラム、Canadian Pharmacy Program(CP3プログラム)に滑り込んでスタートしたことはお話ししましたが、このプログラムの薬局実習でロンドンドラッグスにお世話になった縁から、薬剤師免許取得前から仕事のオファーを頂くことができました。いわゆる内定です。ロンドンドラッグスには、その後、Provincial Nominee Programを通した移民申請手続きのサポートまでして頂きましたから、当時から現在に至るまでお世話になりっぱなしです。

 そして2008年の春から働くことになったのは、ウエストバンクーバーからフェリーで40分のところにある、ギブソンズ(Gibsons)という人口5千人弱の小さな町です。バンクーバーの喧騒から少し離れた自然に囲まれた静かな町ということで、リタイヤした人が多く集まる土地です。2021年の統計では、バンクーバー市の65歳以上人口が17%であったのに対し、ギブソンズは人口の40%でしたから、町がシニア層を中心に成り立っていることが分かります。

 私が薬局勤務を始めた頃は、ベテラン薬剤師が二人で薬局を切り盛りしていました。私より少し後にもう一人の薬剤師が加わりましたが、彼はそれまで同じ町で30年以上に渡り個人薬局を営んでいたレジェンドのような方でしたから、彼らは全員、患者さんの信頼度の桁が違いました。一方で、私のように何でもゼロから説明しないと話がわからないようなアジア人の若造では話にならず、私以外のベテラン薬剤師を指名する人も多くいました。当たり前こととは分かっていても、あまりにこれが続くと人間としてはヘコみます。心の中では「またかよ!」みたいな感じで(笑)。私が特に悪いことをしているわけではありませんし、やる気だけはあったので、仕事を覚える機会が奪われることがフラストレーションでした。

 実際、仕事を始めて最初の5年位は仕事に慣れることで精一杯。この間、特にこれといったことを成し遂げた感覚はゼロです。要領と物覚えの両方が悪いタイプであることは十分自覚していますし、あれだけ苦労して取得したカナダの薬剤師という資格ですから、1つずつ仕事を覚えるしかありません。

 その頃は知りませんでしたが、現地の大学(UBC)を卒業した薬剤師でさえも、スピードを身に付け、テンポよく仕事が出来るようになるまでは、ニュービー(New babyのこと)やグリーン(未熟なこと)と呼ばれます。当時の私はニュービー中のニュービーでしたから、周りのスタッフも半ば諦めていたことでしょう。それでも、薬局業務は良くも悪くも同じ仕事の繰り返しですから、時間が経つにつれて最低限の仕事はこなせるようになっていきました。桃栗三年柿八年、何事も一人前になるには相応の歳月を要するものだからと思えるプラス思考だけが私の取り柄です。

 2010年には初めての子供が生まれましたが、悪性小児がんのために9ヶ月にして亡くなりました。ブリティッシュコロンビア州(BC州)唯一の小児病院であるBCチルドレンズホスピタルと、小児ホスピスCanuck Placeで、カナダの小児医療と小児緩和医療を患者の家族という立場で経験しました。幸いにも、その後2人の健康な子供に恵まれ、それ以来子育てに追われているうちにあっという間に時間が過ぎていきました。

 このようにプライベートは忙しくなったのと同時に、仕事にも結構慣れてきましたので、資格試験に挑戦しようと思いました。薬剤師としては一生勉強を続けなければなりませんし、もともと勤勉な日本人の遺伝子も持っている私です。Eメールで案内のあった、国際渡航医学会(International Society of Travel Medicine; ISTM)の渡航医学(travel medicine)医療職認定に挑戦することにしました。

 渡航医学とは、海外渡航者の健康管理を扱う分野で、薬局薬剤師としては、出発前に渡航先に応じた健康相談と予防接種を行い、人の移動に伴う健康リスクを包括的に管理します。具体的には、中南米や東南アジア、アフリカ大陸への旅行者へのA型肝炎や腸チフスの予防接種、旅程に応じた黄熱ワクチンの接種または免除証明、旅行者下痢症の対策と治療方法、新型コロナウイルスの流行で大きな話題になったクルーズシップ旅行の際に気をつけること、留学や駐在での海外滞在中のメンタルヘルス、高山病対策、海外出張、移民・難民の健康問題、海外でのスポーツ、スキューバダイビングの際に注意することなど、渡航先と渡航目的に合わせたコンサルテーションを行います。これらのバックボーンとなる知識をテストするのが ISTMの医療職認定試験です。

 日本のパスポート保持者が20%前後であるのに対して、カナダのパスポート保持者の割合は70%と高いことが挙げられます。これはカナダという国が多くの移民で成り立っていることと、また米国に隣接していることを考えれば自然なことかもしれませんが、とにかく国外に出かける人の数が多く、渡航前健康相談と予防接種は大きな需要のある分野であるといえます。

 これに加えて、2009年には鳥インフルエンザの大流行に備えて、BC州では薬局薬剤師によるインフルエンザの予防接種が始まり、薬剤師が注射を打つことが普通になっていたという背景もあります。そもそも私自身が日本からの移民である上、元添乗員の妻は海外旅行が大好きですから、もしかして渡航医学って面白いんじゃない?といった軽いノリで試験準備を始めました。

 現在はオンラインでも行われているこの試験も、2013年当時は世界各地の学術集会に合わせた現地受験のみしか選択肢がありませんでした。そこで、2013年の試験はオランダのマストリクトという小さな町へ行って、強烈な時差ぼけの中でこの試験を受けましたが、あと1歩のところで不合格。飛行機で一番揺れの少ないところはどこかという問題を間違えました。(答えは主翼の上です)。合格の場合には、会社からの金銭的なサポートが出るはずでしたが、不合格の場合はサポートゼロということで、全額自費のただのヨーロッパ旅行になってしまいました。

 この旅の途中、フランスのとある駅で、券売機でチケットを買うのを手伝ってあげるという人を信用してお金を払って、ゲートを通過しようとしたら子供用の一駅分のチケットだったという詐欺にも遭いました。旅の疲れで注意力が下がっていたとはいえ、踏んだり蹴ったりです。

 それでも私にとって人生初のヨーロッパ旅行で、アムステルダムとパリを観光したのが非常に良い刺激となりました。UBCのCP3でお世話になった先生の一人が、その頃フランスに帰国していましたので、パリで再会しました。

 肝心の医療職認定試験ですが、カナダの国家試験に何度も落ちた経験を持つ私としては、たかが一回失敗したぐらいではめげません。1年の勉強期間を経て、2014年の6月にはベトナムのホーチミンシティーで同じ試験に再挑戦。手応えはイマイチでしたが、無事合格することができました。何かを成し遂げるために一番大事なことは、やっぱり諦めないことですね。

 ここにも余談があり、ホーチミンシティー滞在最終日に街を散策した後、喫茶店でアイスコーヒーを飲んでお腹を壊してしまい、カナダに戻ってからメディカルクリニックに行く羽目になりました。ベトナムも最終日だし、蒸し暑しいので、一杯くらいはいいかなという気の緩みがいけませんでした。でも、そんな体験が人間を成長させてくれるもの。薬局に渡航前の相談に訪れる患者さんには、東南アジアは、蒸し暑いですが、とにかく氷には気をつけて水分補給してくださいねと、身をもってアドバイスしています。

 薬局薬剤師としてトラベルクリニックを標榜してから早10年が経過しますが、この間、日本渡航医学会に所属する薬剤師の先生とバルセロナの学会で知り合い、日本の学会で発表する機会を頂きました。さらに2023年には、国際渡航医学会の薬剤師専門部会運営委員に立候補し、選出されました。薬局勤務のため、研究実績がほとんどない私は、気合いと好奇心だけでこのようなポジションに辿り着いたといえます。

 波にノってくると、たまには良いことが続くもので、2023年のロンドンドラッグスのファーマシーマネージャーカンファレンスにおいて「Operation Efficiency」部門の社内表彰を受けました。2019年からマネージャー職を務めておりますが、2020年初頭からの新型コロナウイルス流行に伴う混沌とした状況でチームをまとめ、朝4時から働くこともあれば、オーバーナイトのシフトを入れて夜中に一人で処方せんの入力をしていた時期もありました。カナダという国にしてはかなりブラックな働き方であるとは思いつつも、毎日10〜12時間シフトを働くのが日常となりました。薬局の仕事を回すために、考え方と働き方を変えることで荒波を乗り越えてきたことが認められて大変嬉しく思いますが、こんな私をサポートしてくれる薬局スタッフと家族に恵まれたのはいうまでもありません。

 次回は、私の次のステップを紹介します。

*薬や薬局に関する質問・疑問等があれば、いつでも編集部にご連絡ください。編集部連絡先: contact@japancanadatoday.ca

佐藤厚(さとう・あつし)
新潟県出身。薬剤師(日本・カナダ)。 2008年よりLondon Drugsで薬局薬剤師。国際渡航医学会の医療職認定を取得し、トラベルクリニック担当。 糖尿病指導士。禁煙指導士。現在、UBCのFlex PharmDプログラムの学生として、学位取得に励む日々を送っている。 趣味はテニスとスキー(腰痛と要相談)

全ての「また お薬の時間ですよ」はこちらからご覧いただけます。前身の「お薬の時間ですよ」はこちらから。